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【判例ID】 27423811
損害賠償請求事件
東京高裁 昭和五〇年(ワ)第一〇七九七号、五一年(ワ)第九一二四号、五二年(ワ)第九三五九号、五三年(ワ)第二八七七号、五三年(ワ)第一一七八七号
昭和五七年二月一日判決
原告 X1 ほか二七六名
被告 国 ほか二〇名
代理人 楠本安雄 鎌田寛 鎌田泰輝 藤村啓 岡部貞美 河澄安 ほか七名
〔当事者の表示〕〈略〉
〔前主〕
〔主文〕
別表第一〈略〉
別表第二〈略〉
〔事実〕〈略〉
第一節 当事者双方の求めた裁判〈略〉
第一 請求の趣旨〈略〉
第二 請求の趣旨に対する被告らの答弁〈略〉
(別紙)原告請求金額一覧表〈略〉
第二節 請求の要因〈略〉
第一 クロロキン・同製剤とクロロキン眼障害〈略〉
一 クロロキン・クロロキン製剤〈略〉
二 リン酸クロロキンの国民医薬品集、日本薬局方収載〈略〉
三 我国におけるクロロキン製剤の輸入、製造、販売と厚生大臣の承認、許可等〈略〉
四 クロロキンの副作用と眼障害〈略〉
五 クロロキン製剤に対する規制措置〈略〉
第二 原告ら患者のクロロキン製剤の服用とク網膜症の罹患〈略〉
第三 クロロキン眼障害の知見の確立〈略〉
一 アメリカにおけるクロロキン製剤の適応性の拡大とクロロキン眼障害の発生〈略〉
二 外国医学論文〈略〉
三 国際的薬理書〈略〉
四 我国の医学論文等〈略〉
第四 クロロキン眼障害についてのアメリカの動向〈略〉
一 FDAの動向とスターリング社の対応〈略〉
二 スターリング社に対する訴訟〈略〉
第五 被告らの責任〈略〉
一 クロロキン製剤の医薬品としての不必要性〈略〉
二 我国におけるクロロキン薬剤の本格的使用と被害の発生〈略〉
三 クロロキン薬害に対する被告製薬会社の対応〈略〉
四 被告製薬会社の責任〈略〉
五 被告国の責任(医療機関設置者としての被告国は除く)〈略〉
六 被告医師、医療機関経営者の責任〈略〉
七 被告らの責任相互の関係〈略〉
第六 損害〈略〉
一 逸失利益〈略〉
二 介護費〈略〉
三 慰謝料〈略〉
四 弁護士費用〈略〉
五 遅延損害金の起算日〈略〉
(別紙)原告ら被害一覧表〈略〉
(別紙)外国医学論文一覧〈略〉
(別紙)日本語医学論文等一覧表〈略〉
(別紙)損害賠償総論〈略〉
第三節 請求の原因に対する答弁及び被告らの主張〈略〉
第一 被告製薬会社〈略〉
一 請求の原因に対する答弁〈略〉
二 被告Y1の主張〈略〉
三 被告Y2の主張〈略〉
四 被告Y3及び同Y6の主張〈略〉
五 被告Y4の主張〈略〉
六 被告Y5の主張〈略〉
第二 被告国(医療機関設置者としての被告国も含む)〈略〉
一 請求の原因に対する答弁〈略〉
二 被告国の主張〈略〉
第三 被告医師、医療機関経営者〈略〉
一 請求の原因に対する答弁〈略〉
二 被告高知市の主張〈略〉
三 被告珠洲市の主張〈略〉
四 被告Y7の主張〈略〉
五 被告私学校共済の主張〈略〉
六 被告朝倉の主張〈略〉
七 被告武内の主張〈略〉
八 被告田中の主張〈略〉
九 被告三屋及び同岩森の主張〈略〉
一〇 被告谷藤の主張〈略〉
一一 被告佐藤の主張〈略〉
一二 被告日赤の主張〈略〉
一三 被告松谷の主張〈略〉
一四 被告国際親善の主張〈略〉
(別紙)被告ら認否一覧表〈略〉
(別紙)原告らの損害賠償論に対する被告Y4の反論〈略〉
(別紙)厚生省が使用上の注意事項を通知した医薬品一覧表〈略〉
第四節 抗弁及びこれに対する答弁〈略〉
第一 被告製薬会社、同国及び同佐藤の消滅時効の抗弁〈略〉
第二 被告Y1及び同Y2の消滅時効の抗弁〈略〉
第三 抗弁に対する原告らの答弁〈略〉
第五節 証拠関係〈略〉
第一 証拠の提出、援用及び認否〈略〉
第二 医学文献と書証の関係〈略〉
〔理由―その一〕
第一節 クロロキン製剤とその副作用としての眼障害
第一 クロロキン製剤
一 クロロキンとクロロキン製剤
二 我国におけるクロロキン製剤発売の経緯
第二 クロロキンの薬理作用(吸収と排せつ)
一 文献
二 考察
第三 クロロキンによる眼障害
第四 クロロキン網膜症
一 症状
二 発揮率
三 服用量、服用期間と発症との関係及び服用後発症までの期間
四 早期発見法
五 ク角膜症との関係
六 病理及び発症機序
七 予後
八 治療法
第二節 原告ら患者のク網膜症罹患
第一 ク網膜症と類似疾患との鑑別
一 はじめに
二 網膜色素変性症
三 ブルズ・アイを呈する他疾患
四 高血圧に関係する網膜症
第二 ク網膜症の認定基準
一 ク網膜症の診断基準と診断方法
二 ク網膜症罹患の認定とその資料
第三 原告らの患者のク網膜症罹患の有無に関する当裁判所の認定
第三節 クロロキン製剤による眼障害の医学的知見
第一 外国における医学的知見
第二 我国における医学的知見
第四節 クロロキン製剤の有効性と有用性
第一 我国におけるクロロキン製剤の再評
一 医薬品再評価の実施の経緯と再評価の方法及び判定基準
二 クロロキン製剤の再評価結果
第二 外国におけるクロロキン製剤の評価
一 アメリカ及びイギリスにおける実情
二 エリテマトーデス及び関節リウマチに対する有用性の国際的承認
第三 腎炎及びてんかんに対する有効性と有用性
一 腎炎に対する有効性と有用性
二 てんかんに対する有効性と有用性
〔理由―その二〕
第五節 被告製薬会社の責任
第一 薬局方収載医薬品の安全性に対する公的保証の有無並びにその適応性の範囲
一 薬局方収載医薬品の安全性に対する公的保証の有無
二 薬局方収載医薬品の適応性の範囲
三 レゾヒン及びキニリンの薬効の誇大表示
第二 医薬品の危険性
一 化学合成物質の医薬品としての特質
二 医薬品の危険性についての留意事項
第三 被告製薬会社の注意義務
一 総説
二 製造販売開始までの間の注意義務
三 製造販売開始後における注意義務
四 輸入業者及び販売元業者の注意義務
第四 被告製薬会社のク網膜症の予見
一 動物実験によるク網膜症の予見可能性
二 外国文献によるク網膜症の予見可能性
三 被告製薬会社がク網膜症を予見した時期
第五 クロロキン製剤による眼障害に対する被告製薬会社の処置並びに同製剤に対する公的規制措置
一 公的規制措置
二 能書等の添付文書に眼障害,特にク網膜症の警告の記載の有無
三 被告製薬会社らの「クロロキン含有製剤についてのご連絡」と題する文書の配布
第六 被告製薬会社の前記各処置に対する評価とその注意義務違反の具体的内容
一 ク網膜症の発生に対する被告製薬会社の寄与
二 結果回避のため講ずべきであつた措置(その一)
三 結果回避のため講ずべきであつた措置(その二)
四 被告製薬会社の副作用についての警告・指示義務違反
第七 故意・過失
一 企業活動による加害行為と法人自体の故意過失
二 製薬業者等に要求される医薬品の安全性確保義務の履行責任者
三 故意責任の有無
四 過失責任の有無
第八 被告製薬会社の責任相互の関係
一 製造(輸入)業者の責任と総販売元業者の責任
二 複数の製剤服用による罹患と関係被告製薬会社の責任
第六節 被告国の責任(医療機関設置者としての責任を除く。)
第一 薬事法の目的及び性格並びに反射的利益論の当否
一 薬事法の目的及び性格
二 薬事法に基づく医薬品の適正な規制によつて個々の国民の受ける利益と国家賠償法による保護
第二 医薬品の安全性確保に関する厚生大臣の権限と責務
一 総説
二 安全性確保のための調査義務と調査権
三 事後的に副作用が判明した場合の有用性の見直し等の権限
四 厚生大臣の権限不行使と職務上の義務違反
第三 厚生大臣の具体的な義務違反の有無
一 はじめに
二 医薬品の安全性に関する厚生省の対応と動向
三 クロロキン製剤の安全性に関する厚生省の対応
四 クロロキン製剤についての厚生大臣の規制権限不行使の適否
第四 厚生大臣の故意・過失
一 故意責任の有無
二 過失責任の有無
第五 被告国の損害賠償責任
一 被告国が賠償責任を負う被害者の範囲
二 被告国の責任と被告製薬会社の責任
第七節 被告医師及び同医療機関経営者の責任
第一 医師の注意義務
一 投薬又は処方上の一般的注意義務
二 医師のク網膜症の予見可能性
三 医師の過失の介在による被告製薬会社及び同国の責任の消長
第二 被告医師らの具体的な注意義務違反の有無
一 被告高知市関係
二 被告珠洲市関係
三 被告Y7関係
四 被告私学共済関係
五 被告朝倉関係
六 被告武内関係
七 被告田中関係
八 被告三屋関係
九 被告岩森関係
一〇 被告谷藤関係
一一 被告佐藤関係
一二 被告日赤関係
一三 被告松谷関係
一四 被告★★親善関係
一五 被告国関係
第三 被告医師及び同医療機関経営者の責任と被告製薬会社及び同国の責任との関係
第八節 損害
第一 総説
一 被害の特質
二 原告らの制裁的慰謝料論について
三 原告らのいわゆるインフレ算入論について
第二 損害額の算定方法とその具体的適用
一 損害評価の基準日
二 逸失利益
三 介護料
四 慰謝料
五 中間利息の控除
六 弁護士費用
七 遅延損害金の起算日
八 社会保険給付の受給事実を損害額の算定上考慮することの要否
(別紙一)平均給与表
(別紙二)介護費基準額表
第九節 消滅時効の抗弁に対する判断
第一 被告製薬会社、同国及び同佐藤の主張(事実摘示第四節第一)について
第二 被告Y1及び同Y2の主張(事実摘示第四節第二)について
第一〇節 むすび
〔理由―その三〕〈略〉
個別損害認定一覧表の記載要領〈略〉
個別損害認定一覧表(世帯番号1〜44)〈略〉
〔理由―その四〕〈略〉
個別損害認定一覧表(世帯番号45〜88)〈略〉
〔当事者の表示〕〈略〉
〔前注〕本判決においては、国及び地方公共団体以外の被告には次の略称を用いる。
被告の表示 略称
Y1製薬株式会社 Y1
Y2薬品工業株式会社 Y2
Y4薬品工業株式会社 Y4
Y3化学工業株式会社 Y3
Y6産業株式会社 Y6
Y5薬化工株式会社 Y5
医療法人Y7 Y7
私立学校教職員共済組合 私学共済
★★中央病院 こと 朝倉★ 朝倉
武内医院 こと 武内★ 武内
田中病院 こと 田中★ 田中
三屋医院 こと 三屋★ 三屋
和光医院 こと 岩森★ 岩森
谷藤医院 こと 谷藤★ 谷藤
佐藤医院 こと 佐藤★ 佐藤
日本赤十字社 日赤
松谷医院 こと 松谷★ 松谷
社会福祉法人★★親善病院 ★★親善
主 文
一 別表第一の各項に掲げる各原告に対し、同項「対応被告」欄記載の被告らは、各自、同項「認容金額」欄記載の金員並びにこれに対する同項「内金額」欄記載の金額については同項「遅延損害金起算日」欄記載の日から、残金については本判決確定の日の翌日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 別表第一の各項に掲げる各原告の同項「対応被告」欄記載の各被告に対するその余の請求を棄却する。
三 別表第二の各項に掲げる各原告の同項「対応被告」欄記載の各被告に対する請求を棄却する。
四 訴訟費用中、別表第一の各項に掲げる各原告と同項「対応被告」欄記載の被告らとの間に生じた分は、これを二分してその一を当該原告の負担、その余を当該被告らの負担とし、別表第二の各項に掲げる各原告と同項「対応被告」欄記載の各被告との間に生じた分は当該原告の負担とする。
五 この判決中原告ら勝訴の部分は、元金及び遅延損害金とも認容額の三分の一を限度として仮に執行することができる。
別表第一(一部認容する請求の当事者並びに認容金額一覧表)
〈略〉
別表第二(認容ないし請求の当事者一覧表)〈略〉
事実〈略〉
理 由
第一節 クロロキン製剤とその副作用としての眼障害
一 クロロキンとクロロキン製剤
クロロキンは、一九三四(昭和六)年ごろ、ドイツのバイエル・イー・ゲー染料工業株式会社医薬品部エルバーフエルト研究所のアンデルザーグらによつて合成に成功した化学物質で、原告ら主張の化学構造式をもつ七クロル四アミノキノリン誘導体の一種であり、第二次世界大戦中にアメリカにおいて抗マラリア剤として再発見され、アメリカ、西ドイツで医薬品として開発されたものであること、クロロキンの塩基部に、リン酸、コンドロイチン硫酸、オロチン酸等のいずれか一つを結合させた化合物として、リン酸クロロキン、コンドロイチン硫酸クロロキン、オロチン酸クロロキン等があり、これら化合物を含有する製剤、すなわちクロロキン製剤が医薬品として使用されてきたこと、クロロキン製剤は、第二次世界大戦後西ドイツ及びアメリカにおいて抗マラリア剤以外にエリテマトーデス、慢性関節リウマチ等の慢性疾患治療薬としても使用され(西ドイツでは、ドイツ・バイエル社がリン酸クロロキン、商品名レゾヒンを一九四九年に抗マラリア剤として発売し、一九五五年エリテマトーデスがその適応症に加えられ、またアメリカでは、スターリング社がリン酸クロロキン、商品名アラーレンにつき、一九四六年八月一五日抗マラリア剤としてFDAの承認を得た後、一九五七年一〇月二日リウマチ様関節炎、エリテマトーデスの治療薬としてFDAの承認を得た。)、我国では、更に右各適応症のみならず、腎炎、てんかんにも効能がある医薬品として使用されていたこと、以上の事実は原告らと被告製薬会社及び同国との間において争いがない。
二 我国におけるクロロキン製造発売の経緯
1 厚生大臣は、昭和三〇年三月一五日燐酸クロロキン及び燐酸クロロキン錠を第二改正国民医薬品集(旧法二条八号、九号)に収載して公布した(同法三〇条一項)。
そして、厚生大臣は、昭和三六年四月一日リン酸クロロキン及びリン酸クロロキン錠を第七改正日本薬局方に収載し、更に昭和四六年四月一日これを第八改正日本薬局方に収載し、いずれも公示したが(現行法四〇条)、その後昭和五一年四月一日公示の第九改正日本薬局方には収載しなかつたものである。
2 被告Y1は、
(一)昭和三〇年五月厚生大臣に対し国民医薬品集収載医薬品燐酸クロロキン錠(レゾヒン1、一錠中リン酸クロロキン二五〇mg含有)を医薬品輸入販売業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、同年六月二日厚生大臣のその旨の登録を受け(旧法二六条一項、二八条)、
(二)昭和三四年九月厚生大臣に対しエレストール(一錠中リン酸クロロキン四〇mg、アセチルサルチル酸二〇〇mg、プロドニゾロン〇・〇七五mg含有)の製造許可申請をし、同年一一月九日厚生大臣からその許可を得(旧法二六条三項)、
(三)更に、昭和三四年一二月厚生大臣に対し国民医薬品集収載医薬品燐酸クロロキン錠(レゾヒン2、一錠中リン酸クロロキン一〇〇mg含有)を医薬品製造業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、昭和三五年一一月二五日厚生大臣のその旨の登録を受けた(旧法二六条一項。)
3 被告Y3は、厚生大臣に対し国民医薬品集収載医薬品燐酸クロロキン錠(キニロン、一錠中リン酸クロロキン一二五mgを含有)を医薬品製造業登録品目に追加する(登録の変更)申請をし、昭和三六年二月六日厚生大臣のその旨の登録を受けた(旧法二六条一項)
。
4 被告Y4は、
(一)昭和三五年九月一〇日厚生大臣に対し、急性・慢性腎炎、ネフローゼ、ネフローゼ症候群、リウマチ性関節炎を各効能とするキドラ(一錠中オロチン酸クロロキン一〇〇mg含有)の製造許可申請をし、同年一二月一六日厚生大臣から慢性腎炎のみを効能とするその製造の許可を得(旧法二六条三項)、
(二)その後厚生大臣に対し、昭和三六年五月一五日妊娠腎、リウマチ性関節炎、昭和三八年八月一〇日気管支喘息、エリテマトーデス等、昭和三九年四月二四日てんかんの各効能追加申請をし、厚生大臣から昭和三六年一一月六日、昭和三八年一二月一三日及び昭和三九年一一月一三日にそれぞれ各申請にかかる右効能追加の承認を得た(現行法一四条二項、同法附則五条)。
5 被告Y5は、
(一)昭和三六年一二月九日厚生大臣に対し腎炎、ネフローゼを効能としてCQC(一錠中コンドロイチン硫酸クロロキン一〇〇mg含有)の製造承認の申請をし、昭和三七年三月三一日厚生大臣の承認を得(現行法一四条一項)、
(二)その後昭和三七年九月一三日厚生大臣に対し関節ロイマチスの効能追加申請をし、同年一二月一三日厚生大臣の承認を得た(現行法一四条二項)。
6 リン酸クロロキン、オロチン酸クロロキン及びコンドロイチン硫酸クロロキンの各化学構造式、分子量、クロロキン含有量は、原告ら主張のとおりである。
(以上1から6までの事実は、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがない。)
7 かくして、
(一)被告Y1は、昭和三〇年九月以降レゾヒン1をドイツ・バイエル社から輸入し、昭和三五年一月以降ドイツ・バイエル社から輸入したリン酸クロロキンの原末を使用してエレストールの製造を、また同年一二月以降同様のリン酸クロロキン原末を使用してレゾヒン2の製造をそれぞれ開始し、これら製剤をいずれもすべて被告Y2に売渡し、被告Y2が右各日時以降国内においてこれらを一手に販売してきた。
レゾヒン1の適応症は、発売当時はマラリアと急性・慢性エリテマトーデス(後に亜急性・慢性エリテマトーデスに変更)とされていたが、昭和三三年八月慢性関節リウマチ、腎炎等が昭和三六年四月にはてんかんがその適応症に加えられ、エレストールは、リウマチ熱(急性関節リウマチ)、リウマチ様関節炎が適応症とされていた。またレゾヒン2の適応症は、マラリア、亜急性・慢性エリトマトーデス、慢性関節リウマチ、腎炎等であつたが、その後てんかんも適応症に加えられた。
(二)被告Y3は、昭和三六年一二月キニロンの製造を開始し、これをすべて被告Y6に売渡し、被告Y6がこれを一手に国内で販売してきたが、キニロンの適応症は、急性、慢性リウマチ様関節炎、亜急性・慢性エリテトマトーデス、腎炎等とされていた。
(三)被告Y4は、昭和三六年一月からその製造にかかるキドラを前記4の各疾患を適応症とする医薬品として販売してきたし、被告Y5は、昭和三八年三月からその製造にかかるCQCを前記5の各疾患を適応症とする医薬品として販売してきたものである。
(右の各事実は、原告らと被告製薬会社との間で争うがない。)
第二 クロロキンの薬理作用(吸収と排せつ)
一 文献
1 レープら(一九四六年、外国文献66)
クロロキンの薬理作用につき、各種の実験動物及びヒトでの広範な実験によつて種々の研究機関が研究した結果の概略の報告で、クロロキンの吸収と排せつ等について次のとおり報告している。
クロロキンは、胃腸管から完全に、あるいはほとんど完全に吸収される。吸収の速度はキナクリンより幾らか速く、排せつは緩徐であるがキナクリンよりわずかに速い。
相当な量のクロロキンが器管や組織に沈着し、その量は薬剤の服用量に比例する。クロロキンは有核の細胞、特に肝臓、脾臓、腎臓、肺臓の細胞に集中し、これらの器管では血漿中での濃度の二〇〇ないし五〇〇倍の濃度で含有されている。また、白血球中にも相当な割合で集中する。
クロロキンはキナクリンと同様体内で代謝されるが、投与薬剤のごく一部しか排出物中では発見されない。
クロロキンは諸器管に局在することが明らかで、その排せつと減成の率は緩徐であるから、投与が中止された時の体内からの消失も緩やかである。
2 ルービンら(一九六三年、外国文献30)
著者らは、二年半から八年にわたつてクロロキンを投与された八人の網膜症患者について研究を行い、最後の薬剤摂取から五年を経た患者の血液や尿中に少量のクロロキンが検出されたことを報告し、このことはクロロキンが以前に知られていた程度以上に高度に組織中に残存することを示していると述べている。
また、クロロキンは組織への結合度が大きく、投与中止後の身体からの消退が緩慢であり、ある患者については最後のクロロキン摂取から四か月を経た時にも、一日一〇mgのクロロキンとその代謝物が尿から排せつされていたと報告している。
またクロロキンの投与量とその吸収は直線的関係を示さず、投与量が増加すると、組織での沈着は急激に増加するとして、シユミツトらの報告(ラツトに投与するクロロキンの量を約三倍にすると、肝臓と脾臓でのクロロキンの沈着は二〇倍以上になる旨の報告)を引用している。
3 ベルンシユタインら(一九六三年、外国文献35)
著者らは、ラビツトとラツトを用いた動物実験の結果、クロロキンが有色動物の目の虹彩と脈絡膜に極めて高濃度に、かつ長期にわたつて蓄積される旨報告している。
すなわち、有色ラビツトにクロロキンを一日体重一kg当たり五mgの割合で筋注し(これはリン酸クロロキンのヒトに対する一日の平均経口投与量である二五〇mgないし五〇〇mgに相当するという。)、その六三日後、もはや他の体組織中にはクロロキンが検出されなくなつた時でも、虹彩や脈絡膜にはクロロキンが高濃度に存在していたし、有色ラツトに対しクロロキンを飲み水に入れて少なくとも六か月間投与した後の虹彩におけるクロロキンの濃度は、肝臓のそれの八〇倍以上であつた等の実験結果を報告し、白色種においてはそのような結果がみられなかつたことから、クロロキンがメラニン色素と強い親和性を有し、これと結合することによつてメラニン含有組織に特に高濃度で蓄積するのではないかと推定している。
4 ウエツターホルムら(一九六四年、外国文献40)
著者らは、自験した網膜症患者がたまたま死亡した後その両眼を摘出して検査した結果、網膜に広く分布する蛍光を発する沈着物を認め、網膜中のクロロキンの存在を推定し、また網膜均等質中のクロロキン蛍光定量分析を行つて右の推定にそう結果を得た旨報告している。
5 小森谷武美ら(昭和四八年、日本文献105)
クロロキンの副作用とクロロキンをマラリア予防薬として使用する際の注意事項とについて総括的に述べたものであるが、著者らは、クロロキンの吸収、分布及び排せつについて、クロロキンは服用後速やかに吸収され、三〇分後には作用を現すこと、ヒトに対して一定量のクロロキンを朝、昼、夕と約四ないし五時間ごとに三回に分服させた場合の一日当たりのクロロキンの排せつ量は、尿中三六・九%、糞便中五・九%、計四二・八%であり、服用量の過半量は組織内滲透により体内にとどまり、蓄積作用が大なることを示していること等を述べている。
6 山岸直夫・永田誠(昭和五六年、甲あ第八四号証の三八)
著者らは、臨床的にク網膜症が疑われた患者(世帯番号84の患者亡X7である―甲あ第八四号証の三九)の死後、遺族から右眼の眼球の提供を受け、ホルマリン液中に保存された眼球について、眼内各組織のクロロキン量を測定し、また組織の蛍光顕微鏡観察を行つた結果について報告している。
すなわち、クロロキンの組織濃度は虹彩が最も高く、脈絡膜(ただし、網膜色素上皮を含む、以下同じ。)、毛様体がこれに次ぐが、これは外国文献35(前記3の文献)の動物実験の結果と同じであり、眼内クロロキンは最も高い濃度で虹彩に存在すること及び眼内の色素の最も多く分布する部分にクロロキンが多く存在することが分かつたとし、更に、眼球半分に含まれるクロロキンの総量は脈絡膜四六・三μg、虹彩一九・三μg、毛様体一八・七μg、網膜四・〇μgであり、保存中に一度も交換しなかつたホルマリン液中にも三〇・四μgが測定されたとし、次にクロロキンの眼色素への吸着についての従来の報告をひいた後、このようにクロロキンが眼色素特にメラニン顆粒に吸着されそのうえ解離遊出されにくいために、換言すれば、クロロキンの生物学的半減期が長いために、長期にわたる大量の服用によつて眼内組織内で高い濃度で存在するようになり、網膜症の発症しやすい状態になると考えられる、と述べている。
組織の蛍光顕微鏡観察の結果については、網膜外属及び網膜色素上皮に強い蛍光を認めたとし、網膜色素上皮に見られる蛍光は正常眼においても認められるものでリポフシン(網膜の脂褐色色素)であると考えられるが、網膜内の蛍光は正常眼では認められないものであり、これは網膜色素上皮から網膜外層に移動した色素に一致して認められたと報告している(なお、著者らは、クロロキンの局在性を蛍光顕微鏡のもとに観察することはリポフシンの強い蛍光性のため今のところ困難であるとし、外国文献40(前記4の文献)に言及して、右文献は網膜中の点状の蛍光をクロロキンの沈着であるとしているが、これは今回の観察結果より明らかなように網膜中に移動したリポフシンによる蛍光であろうと述べている。)。
その他、著者らは、人眼八例について摘出直後にクロロキン測定を行つたローウイルらの報告(一九六八年)、ク網膜症患者のホルマリン固定後の眼球を含む全身組織のクロロキン量を測定した山田栄一らの報告(昭和五三年)にも言及し、また、今回の眼内クロロキンの定量結果及び臨床所見から本症例はク網膜症であることが確認されたと述べている。
7 マクチユニイら(一九六七年、乙B第一五四号証)
著者らは、毎日三一〇mgのクロロキンを一四日間ヒト(八名)に経口投与してその中止後の代謝の結果を測定し、投与中止後九一日目までに尿中に平均約五六%が排せつされたが、尿中からこれ以上の量の回収はないようであるとし、これに糞便中の推定排せつ量約一〇%を加えると服用量の約三分の二は排せつされたであろうこと、残余の部分についても測定不可能な形で排せつされている可能性があること等を述べている。
二 考察
以上に摘示した各文献の検討の結果、以下の事実が認められる。
クロロキンの体内への吸収は速やかでほとんど完全であり、他方、体外への排せつは緩徐である。その結果相当な割合のクロロキンが器管や組織に沈着し、その量は投与量が増加すると急激に増加する。
ヒトにクロロキンを長期にわたつて投与した場合、投与中止後五年を経てもクロロキンはなおその体内に残存しうる。
動物実験の結果によれば、クロロキンは目のメラニン含有組織に極めて高濃度に、かつ長期にわたつて蓄積されるが、このことはクロロキンとメラニン色素との著しい親和性を示唆している。また、ク網膜症患者の眼球を株査した結果、ヒトにおいてもその網膜中にクロロキンが蓄積していることが確認されている。
なお、前記一の7の文献は、クロロキン製剤をアメリカにおいて製造販売していたスターリング社のウインスロツプ研究所における研究の報告であるが、右の報告にかかるクロロキンの投与実験は、投与期間が短いため総投与量が少なく、しかも結局尿中排せつ物として投与量の五六%を確認し得たにとどまり、残余の部分は排せつされた可能性が大きいと推定しているのにすぎないので、右の報告のみをもつてしてはクロロキンの排せつが緩徐であるとの前認定を履すに足りない。
第三 クロロキンによる眼障害
一 クロロキンの副作用としては、体重減少、倦怠感、肩凝り、胃腸障害、肝障害、筋障害(筋力低下)、神経障害、血液の顆粒球減少症、苔癬様皮膚炎、光線過敏症、毛髪色素異常、その他難聴、妊娠中服用の先天性異常児の出産等があるが、特にクロロキンによつて眼障害が発生することがある。
二 クロロキンによる眼障害には、大別して角膜障害と網膜障害とがある。この眼障害の発生率は、クロロキン製剤の種類、すなわちリン酸クロロキン、オロチン酸クロロキン、コンドロイチン硫酸クロロキン等によつて差異はないといわれている。
三 角膜障害(ク角膜症)は、クロロキンが角膜上皮下に結晶状に沈着し、角膜のびまん性点状混濁、中央下部に融合集中する線状混濁、濃厚不規則な緑黄曲線混濁などとして現れる障害で、一説では、涙の中に分泌されたクロロキンが角膜上皮に吸収され、沈着するものと考えられている。その発生率は、報告者によつて異なるが、クロロキン服用者のうち、三〇・八%、三三・三%あるいは四一%などに認められると報告されている。しかし、角膜障害は、可逆性で、クロロキンの投与を中止することによつて後遺症を残すことなく消失する。
(以上一から三までの事実は、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがない。)
四 ところで,ク角膜症の自覚症状としては、暈輸(発光体の周囲に色のついた輪が見える)や虹視(裸電灯の周囲に虹が見える)あるいは霧視(眼がかすむ)等が主なものであるが、自覚症状を訴えないことの方が多い(外国文献31、日本文献25、35)。そして、これらの自覚症状のうち暈輸は、充血性緑内障の顕著な症状であるため、ク角膜症は、緑内障と誤診される可能性があり(外国文献5、7、9、31、日本文献43)現にそのように誤診されて治療を受けていた例も報告されている(日本文献25)。
第四 クロロキン網膜症
一 症状
ク網膜症の主要な特徴的症状が次のようなものであることは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがない。
すなわち、ごく初期には、眼底の黄斑部中心窩反射の消失、黄斑部の浮腫、混濁、色素の不規則化(配列の乱れ、粗★感)が現れ、更に進行すると、黄斑部中心窩付近に色素が沈着し、その周辺部が脱色素化して逆にやや明るくなり、また更にその周囲に色素沈着が取り囲む、いわゆる「ブルズ・アイ」と呼ばれるドーナツ様の変性を示すようになる。更に網膜変性が進行すると、網膜全体が汚く混濁し、網膜血管は狭細化し、乳頭が蒼白化して萎縮像を示し、最も進行した場合、色素変性が網膜全体に及ぶ。眼底の変性にほぼ対応して、暗点と視野狭窄によつて視野欠損が発生する。視野変化は、まず傍中心暗点として現れ、この暗点が進行すると輸状暗点を形成する。視野変化のもう一つの型は、周辺視野の狭窄をもたらすが、この場合の中心視力は最後まで比較的よく保たれる。他に色覚異常や夜盲が発生する例もある。
結局、ク網膜症の主要な特徴は、黄斑部の障害、網膜血管の狭細化、これによつて引き起こされる暗点と視野狭窄による視野の欠損であるが、いま少し詳細にその特徴的症状を検討すると、上記の当事者間に争いのない事実と〈証拠略〉を総合すると、次のとおりであることが認められる。
1 総説
ク網膜症の症状は、個人差が大きく、また機械的にその進行の段階を区分することもできないが、全体としては、かなり特徴的な症状を呈する疾患であるということができる。
以下においてはその症状の推移について一応初期、中期、末期に分けて示すが、あくまで典型的な疾例を前提としての区分であり、各症例が機械的にこれに当てはめられるものではない。
また、視力、視野等の症状の進行についても、緩やかに進行する症例もあれば、変化の早い症例もあり、また一症例についてみても、必ずしも一定の速度で進行して行くわけではなく、長く変化がなかつた後急激に病状が進行する場合もあることは、過去の各症例の報告の検討によつて明らかに認められるところである。
病変は基本的には両側性であり、かつ対称性の変化を示すことが多いが、左眼と右眼で症状の程度や進行、型が異なる場合(たとえば、視力についてかなり左右差がある場合、あるいは左右眼で視野異常の型が異なる場合)がある。
2 眼底所見
ごく初期には、黄斑部の浮腫、混濁、色素配列の乱れ、粗★感、中心窩反射の消失等がみられることが多い。
この時期の眼底所見と視力、視野との関係は、必ずしも眼底所見と同時に視機能の異常が現れるものではなく、眼底所見に異常があつても視力、視野は正常な場合があり、また視機能の異常が眼底所見に先立つて起こる場合もある(外国文献42、証人中島章の証言)
。
更に進行すると、黄斑部中心窩付近は色素沈着のため暗く(暗赤色を呈する)、それを囲んで輪状に脱色素による明るい部分があり、更にその周囲を色素沈着が取り囲む特徴ある所見(これを「ブルズ・アイ」あるいは「ドーナツ状眼底」等と呼ぶ。)を呈することが多い。これは、後述のようにク網膜症のみにみられる所見ではないが、この症状を呈する疾患が比較的まれであり、かつ、いずれもク網膜症との鑑別が可能であることから、他の症状と併せ見ることによつて、ク網膜症診断の有力な根拠となるものである。
なお、蛍光眼底撮影を行うと、眼底に肉眼的所見の認められない時期でも、黄斑部の暗黒部を取り巻いて輪状に蛍光漏出像を認めるといわれている(日本文献64、84、〈証拠略〉)。
しかし、ブルズ・アイ所見を示さず、黄斑部全体にびまん性の変性がみられることもある(日本文献114、〈証拠略〉)。したがつて、ク網膜症であれば必ず眼底にブルズ・アイ所見がみられるということはできない。
一般にブルズ・アイの時期まで(この時期を一応初期と考える。)は視力は良好であるが、視野では程度の差こそあれ、輪状暗点を認めることが多い。
更に症状が進めば(一応中期とする。)、変性は黄斑部から周囲に応がつて行く。ク網膜症では下方の網膜がより侵されやすいため、視野では上側の欠損の方が先に現れることが多い。この時期に中心窩が侵されれば視力は急激に悪化する。
この時期に至ると、網膜のみならず、乳頭や血管にも病変が認められる。すなわち、乳頭は萎縮、褪色し、血管、殊に動脈は狭細化することが多い。
末期に至ると変性は網膜全体に及び、網膜が汚く白茶けた感じとなる。乳頭の萎縮、褪色も高度となり蒼白化し、血管も極端に狭細となる。
以上は、黄斑部に病変が初発した場合の典型的な眼底所見の経過であるが、他に網膜周辺部に病変が初発する場合があり、その場合は、周辺部網膜が変性し、血管が狭細化する等の症状が最初に現れる(外国文献57、〈証拠略〉)。
ク網膜症の眼底所見のうち、動脈の狭細化については、投薬原疾患である腎炎等に基づく高血圧症からも同様の症状が現れてくるので注意を要する。しかしながら、血管の変化は、ク網膜症の場合むしろ二次的なものであり、他の症状と併せ見ることによつて、後述のとおり視力、視野の障害がどの疾患に基づくものであるかは十分鑑別が可能である。
なお、動脈の狭細化がク網膜症によるものか否かを鑑別する方法として、ク網膜症末期の狭細化は壁反射の亢進がなく、また一様に細くなるものであつて、管径不同を伴わないとの意見(日本文献45)もあるが、同時に鞘状化や不規則な分節状の狭窄がク網膜症の血管狭細化の特徴であるとの意見(外国文献62)や、動脈の狭細化は血管走行全般に起こるが、時に局部的狭細もみられるとの意見(日本文献64)もあり、動脈狭細の形状のみからこれがいずれの疾患によるものかを判別することは困難であつて、前述のように他症状との総合的判断が必要といえる。
色素斑や出血は、ク網膜症には余りみられない症状であるが、まれにはこれが存在することもある。
色素斑については、後極部と周辺部の間にわずかではあるが網膜色素変性様の黒色色素斑を血管上に認めたとの報告(日本文献19)もあり、〈証拠略〉の一覧表でも一一例中五例には色素沈着を認めており(〈証拠略〉)、他にも本症における色素斑発生に言及する文献がある(〈証拠略〉)。
また出血についても、四例中二例について、黄斑部又は乳頭周辺部(特に黄斑の脱色素部)に多数の徴小血管瘤様の小出血点の出現(網膜末梢血管障害によるものであろうという。)を認めたとの報告(日本文献84)があり、ク網膜症においても血管の狭細化が顕著であることから、出血をみることもまれにあるといえる。しかし、後述のようにこれは投薬原疾患による高血圧症による特徴的な出血とは区別が可能なものである。
3 視力
初期には視力は比較的良好であることが多い。
中期に至ると多くは視力が低下し、〇・一以下となることが多いが、例外的に、中心窩付近がわずかでも健在であれば、比較的良好な中心視力が残存する場合がある。これは、視力がもつぱら中心窩付近の機能に依存していることに由来する。
末期に至れば視力は更に悪化し、失明に至ることもある。しかし、極めて例外的に、変性が眼底全体に広がつているにもかかわらず、中心窩付近のみ健在な場合、中心視力が良好なことがある。
以上のとおり、ク網膜症の視力分布には幅があり、個人差が大きい。中心視力のみが中期、時には末期まで良好なことがあるのは、本症では黄斑部の傍中心部又は周辺部が比較的障害されやすく、中心窩が侵されにくいためであるといわれている。しかし、このように中心視力の良好な場合でも、後述のように長年月の経過の後に中心窩が侵され、失明に近い状態に陥ることがまれではない(日本文献114)ので、予後は楽観できない。また、中心視力のみ残存していてもその部分の視野が極端に狭い(二ないし三度以内のものが多い。)ので、個々の文字は判読できても読書は困難となる等、生活上には支障が大きい。
4 視野
視野は、ほぼ眼底の変性に対応して欠損部分(暗点)が病症の進行につれて広がつて行く。
この視野異常の型としては、大別して輪状暗点型あるいは傍中心暗型と周辺視野狭窄型とがみられるようであるが、同一症例でこの双方がみられることもあり、機械的な分類にはなじまない(日本文献90、108、84、外国文献55、〈証拠略〉)。
黄斑部に病変が初発する場合の典型的な視野症状の経過は以下のとおりである。
初期の段階でもほとんど視野欠損があり、傍中心暗点ないし輪状暗点を認める。
中期にはこの暗点が周辺部に拡大する。前述のとおり上方の視野欠損の方が先に出やすい。
末期には暗点の拡大の結果、三日月形の視野が周辺に残存するだけの状態になつたり、あるいは中心視野のみがわずかに残存するだけの状態になつたりすることが多い。周辺視野のわずかな残存があつても、この部分の視力は非常に低いので、視機能は極端に低下する。
5 その他の他覚的症状
(一)網膜電位図(ERG)
ク網膜症においては、ERGは、早期から変化を認めることが多いので、診断に当たつて重要な検査法といえる。
a波、b波の減弱、律動様小波の消失、b波頂点延長等の症状がしばしば認められ、また、反応全体が病変の進行に伴い徐々に悪化し、最終的には消失してしまうことが多い(〈証拠略〉日本文献63、103)。
(二)暗順応
ク網膜症においては、暗順応の障害は比較的遅く現れるが、中期以降になるとかなりの異常を認める例も多く(日本文献19、59、63)、殊に第二次曲線の異常が認められることが多い(日本文献19、59)。
かなり進行したク網膜症で、ERGの変化が強いのに光覚が良好であるとし、これを網膜色素変性症との重要な鑑別点であるとする見解があり(〈証拠略〉)、確かに一般論としとはそのようにいえるであろうが、ク網膜症においては、網膜色素変性症に比べて暗順応の障害の現れるのが一般的に遅いということはできるものの、そのかなり進行した状態でも光覚が良好であるとは必ずしもいえない。
(三)色覚
ク網膜症では、中心窩が比較的末期まで障害されにくい関係上、色覚は比較的遅くまで侵されにくい。しかし、末期に至ればほとんどの症例で何らかの色覚異常が認められる。
6 自覚症状
本症の自覚症状について山本覚次ら(日本文献101)は以下のようにまとめている。
「自覚症状の初発するものは視力障害であるが、……少し薄暗い場所、または逆光線の場合に増強してくる視力障害で眼科術語でいうと低照度視力の障害を自覚し、次いでまたは同時に視野の狭窄又は欠損を訴え、やや進行したものでは夜間の行動の不自由を主訴とするようになる。」
過去の日本の報告例においては、初診時の主訴として夜盲を訴えるものが最も多く、視野異常、視力障害がこれに次いでいる(日本文献108)
本症の患者一〇七名に対するアンケート調査の結果(回答率七五・七%…八一名であり、そのうち本人が死亡しているもの、調査表の記入が不十分であつたもの六名を除いた七五名についての分析〈証拠略〉)では、視力低下、視野異常以外の自覚的眼症状(全一〇種の項目について調査)について、五〇%以上が羞明、夜盲、眼精疲労、光視を、三〇%以上が霧視、虹視、飛蚊、調節力障害を、二〇%以上が複視をそれぞれ訴えており、患者一人当たり平均自覚症状数は四・八種類である(すでに消失した症状も含む。)。
また、七八・七%(五九名)がなんらかの色覚の異常を訴えている。
二 発症率
ク網膜症の発生する率は、報告者によつて異なるが、クロロキン服用者のうち一%、二%、一五・四%、一六%などに認められる旨の各報告がある事実は原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、右の事実に日本文献46、101〈証拠略〉を総合すると、我国におけるク網膜症の発症率はクロロキン製剤の長期服用者のうちの一%前後であることが認められる。
三 服用量、服用期間と発症との関係及び服用後発症までの期間
1 文献
(一)杉山尚ら(昭和四一年、日本文献42)
クロロキン製剤を長期継続して服用した三七例のリウマチ性疾患患者の副作用について調査した結果、網膜障害の発生と服用期間及び年令などには一定の相関関係はない、としている。
(二)荒木保子ら(昭和四三年、日本文献59)
国内における従来のク網膜症の報告(総患数一四名)をまとめた結果によると、総服用量については一二gから一四三〇gまで幅があるが、一〇〇g前後ないしそれ以下でも三例が発症している。投与期間は、二か月から六年三か月までの幅があるが、一年二か月以下の投与で四例が発症している。服用開始から発症までの期間も三か月から七年までの幅があるが、六か月以下で三例が発症している。
著者らは、投与量及び期間と発症時期及び障害の軽量についての規則性は判然とせず、個人差が大きいようであると述べている。
(三)伊藤昭一(昭和四六年、日本文献92)
学会報告であるが、その中で著者は、体重当たり同程度のクロロキンを摂取した場合に、子供は大人に比して比較的短期間内(一年以内)に少量の総摂取量で、ク網膜症をきたすことがあるから、子供にクロロキンを投与する際には十分な注意を要することを米村(金沢大)が指摘した、と述べている。
(四)中村三彦(昭和四七年、日本文献96)
ク網膜症三例について報告し、クロロキン投与開始時から発症までの期間は一定せず、一例では投与終了後約二年目に視力障害を自覚した、と述べている。
(五)四日剛太郎ら(昭和四七年、日本文献98)
ク網膜症三例について報告しているが、第一例は十二歳の女子で、クロロキンを一日二五〇mg、一四〇日間、総量三五g服用して発症しており、著者らは、小児ではこの例のように少量のクロロキンでもク網膜症が早期に起こりうることを指摘している。
また、第三例はクロロキンを一日六〇〇mg、半年間、総量一〇八g服用して発症した例である。
(六)谷道之(昭和四七年、日本文献103)
自験したク網膜症の症例の中に、クロロキン服用中止後八か月目に初めてク網膜症が出現した症例のあつたことを報告し、また、従来の報告例を検討し、投与期間、総投与量とク網膜症の重症度、更には機能障害の重症度との間には、必ずしも密接な関連性は認められない旨述べている。
(七)小森谷武美ら(昭和四八年、日本文献105)
クロロキンの副作用とマラリア予防薬として使用する際の注意事項とを述べたものであるが、著者らは、服用後ク網膜症発症までの期間は不定で、ほぼ三か月ないし一年以上、発症までの投与量も不定で、ほぼ三〇gないし一〇〇g以上であるとし、問題になるような副作用はマラリアの予防に用いる量(一月に約二g)をはるかに超える量(一日二五〇mgないし七五〇mgを毎日、一月に七・五ないし二二・五g)を連用した場合に起こつている、と述べている。一方、たとえば総量五五gのリン酸クロロキンを二、三か月以内に服用すれば重い眼症状等が起こることが予想されるとして、クロロキンの服用には十分な注意を要すると警告している。
(八)普天間稔(昭和四九年、日本文献106)
順天堂における一〇年間の症例の分析、国内報告例の分析及び厚生省の特別研究におけるアンケート調査の結果(後記(三)の文献)に基づいて、ク網膜症発症までの服用期間は教室例では一年二か月ないし六年(平均四・二年)、報告例(アンケート調査を含む)では三か月ないし一〇年(平均三・四年)であり、服用量は教室例では二五〇gないし六五〇g(平均四五〇g)、報告例(アンケート調査を含む)では一八gないし一四三〇g(平均五〇〇g)である、と報告している、
著者は、結論として服用期間や量と発症率との間に一定の傾向は認められなかつた、としている。
(九)渡辺郁緒(昭和四九年、日本文献108)
国内における過去の報告例の分析であるが、発症までの服用期間については、若年者(一〇代以下)では短い傾向があるとし、また全症例の約四%(四例)が一年末満に発症していることに注目すべきである。としている。更に、報告例には非常に進行した症例も多いので、初期変化は報告例に示されているより早い時期であることは当然である、と述べている。
投与量と発症までの期間との間には明確な関係はない、としている。グラフによると総服用量一〇〇g(クロロキン塩基に換算)未満で五、六例の発症をみているようである。
(一〇)石川哲ら(昭和五〇年、日本文献109)
中毒性眼疾患全般について述べたものであるが、最近の外国文献(ウオルシユら、一九六九年)を引用し、ク網膜症の発症には投与期間と量が大きく関係しているとし、報告例によると、投与期間では一年以内もの九%、二年以内のもの一八%、六年ないし七年のもの四六%、となつており、また総投与量では一〇〇g以下のもの四%、五〇〇gないし六〇〇gのもの三三%となつていて、期間と量に応じた発症率の差がある、と述べている。
そして、前記(九)の渡辺の報告と右報告との相違(渡辺は国内報告例では過半数が四年以内に、約四%が一年以内に発症しているとし、また投与量と発症までの期間との間に相関関係はない、としている。)を指摘し、その原因については人種差も問題になるのかもしれない、と述べている。
(二)上田泰ら(昭和四七年度厚生省特別研究〈証拠略〉)
クロロキンを使用した糸球体腎炎患者九五六例について副作用を調査したもので、クロロキンの使用量及び服用期間とク網膜症の発現ひん度との間に明らかな関連は認められない、としている。
(三)中島章ら(昭和四八年度厚生省特別研究〈証拠略〉)
以前に実施したアンケートにおいて薬剤による視覚系への副作用を経験したと報告した国内眼科医会会員八二四名を対象にアンケート調査を行つた結果の報告であり、ク網膜症については医師数四九名(回収率二三%)、症例数七五例の回答に基づいている。
服用期間、服用量と発症との間に明確な関係はないとしており、統計表によると、服用期間一年未満で一〇例(一五・六%)が、服用量一〇〇g未満で四例(一三・八%)が発症している(服用期間の判明しているもの六四例、服用量の判明しているもの二九例)。
(一三)仁田正雄「眼料学」改訂第二版(昭和五二年、〈証拠略〉)
ク網膜症について、クロロキンの投与量一〇〇g、内服期間一年を超えると危険であるというが、ドース・レスポンスは判然としていないから、それ以下の量、期間でも安心はできない、と述べている。
(一四)ベーケら(一九七四年、〈証拠略〉)
ク網膜症について、一日二五〇mg以上のクロロキンを何年も服用した患者は危険があるようであるとしながらも、時折り比較的短期間の投与及び少量の投与でもクロロキンによる障害が見られることがあり、機能低下を伴つた網膜症が発生するような普遍的かつ規則的な「危険」用量は提示することができない、と述べてある。
(一五)シヤーベルら(一九六五年、〈証拠略〉)
著者らは、慢性関節リウマチ疾患の患者について、クロロキン服用群四〇八例と非服用群三三三例の眼症状を比較し、服用群中二例のみに黄斑部色素沈着を認めたが、視力、視野については正常であつてク網膜症とは思われないと報告し、ク網膜症の発現は過剰投与と関連し、一日二〇〇mgないし三〇〇mgの投与で発現した従来の報告例については、これをクロロキンに対する特異体質―おそらく組織中の濃度増加により発現する―によるものであろう、としている。
(一六)コーガン(一九六五年、〈証拠略〉)
(一五)の文献を引用し、ク網膜症はクロロキン一日二五〇mgを超えない投与量では、発生はまれであるかあるいはないと見てよいであろう、と述べている。
(一七)ベーケら(一九六七年、〈証拠略〉)
自験した一七一例のクロロキン服用患者についての検討の結果の報告である。病的所見を有する患者数は一一名であつたが、著者は、ク網膜症の概念を典型的視野欠損、眼底変化及びERG所見の併存しているものだけに限定すべきだとの見地から診断を行い、右のうち一例のみをク網膜症と診断した。
著者は、一日二五〇mgを超え、長期間(数か月ないし数年)投与するのでない限り、比較的まれにしか発生しない眼障害のために、有用なクロロキン治療を打切らせるべきでない、としている。
(一八)マツケンジー(一九七〇年、〈証拠略〉)
著者は、自験例及び従来の報告例におけるクロロキンの服用量を引いて、一日体重一ポンド当たり二mg以下のリン酸クロロキンの服用では、危険はほとんどあるいは全くないとしながらも、「私はこの障害シキイ値を最適用量ではなく、むしろ一週間でさえも超えるべきでない最高限度と考えている。」と述べている。
(一九)NND(一九七一年版、〈証拠略〉)
薬剤ハンドブツクのうち、抗リウマチ剤についての部分である。
リン酸クロロキンについては、慢性関節リウマチに使用して効果の認められる場合は、重篤な副作用のない限り、通常一年間治療を続けてよいとし、眼底に変化が見られたら、直ちに投薬を中止すべきであるとする。
また、一日使用量二五〇mgを超えることは推奨できないとし、これより少ない用量で網膜損傷の起こつたこともある。としている。
(二〇)矢野良一(昭和四八年、〈証拠略〉)
著者が医師会主催の昭和四六年度の医学講座において行つた講演の記録であり、慢性関節リウマチに対し、クロロキンを一日三〇〇mg以下、半年使用一か月薬を繰り返し数年用いてよい、としている。
(二一)アメリカ・リウマチ協会編「リウマチ入門」第七版(一九七三年、〈証拠略〉)
慢性関節リウマチについて、全身及び関節にしつような苦痛が続く患者の場合には、医師は、一日当たり一錠のクロロキン又はヒドロキシクロロキン(それぞれ二五〇mgと二〇〇mg)を処方してよいが、その量を超えてはならないとし、また、その効果を評価するのに少なくとも四ないし六週間は必要である、としている。そして、この使用量では眼への合併症はまれであるとしながらも、三ないし六か月ごとの十分な眼科的検査が必須である、と述べている。
(二二)ジンら(一九七五年、〈証拠略〉)
キノリン類及びフエノチアジン類の網膜色素上皮に対する毒作用について一般に記述したもので、クロロキンについては、総投与量三〇〇g未満の患者については網膜症例の報告はほとんどないし、総投与量が一〇〇g未満の患者についてはただ一件の症例が報告されているにすぎない、としている。
(二三)ロロ(一九七五年、〈証拠略〉)
医薬品の副作用についての解説書中、抗マラリア剤についての部分であつて、一日二五〇mg未満の投与ではク網膜症の発生は報告されていないとし、一九六四年から一九七一年までの間の四〇〇症例を観察したある研究では三八例のク網膜症が見られたが、治療期間一年、総服用量一〇〇g以下での発症例はなかつた、としている。
(二四)ユルマンら(一九七六年、〈証拠略〉)
著者らは、クロロキン療法を受けたことがある慢性関節リウマチ患者二七〇例について検査を行つたが,ク網膜症患者はそのうち大量投与を受けた七四歳の婦人一例のみであつたとして、年間一〇か月、一日二五〇mgの用量を超えず、患者が五〇歳以下で網膜に影響する何らかの疾患を患つていなければ、クロロキンが網膜障害を引き起こす危険性は、長期治療においいてすらきん少ないし皆無であろう、としている。
一方、著者は、黄斑部のわずかな変性は黄斑病という概念に含まれ、ク網膜症とは区別すべきものと考えているが、視力の減退を伴つた黄斑症のひん度は服用量一〇〇g以下の群で二%、六〇〇g以上の群では一七%であつて、服用量の増加に伴つて増加し、総計二〇例であつたこと、これらのうち一五例について悪い方の眼の中心視力は〇・六以下であつたことを報告している。
(三五)WHO「国際旅行者へのマラリアの危険に関する情報」(一九七六年、〈証拠略〉
)
ク網膜症の危険は、クロロキンの総服用量が塩基として一〇〇gを超えた場合に生じるものと考えられている、と述べている。
(二六)サムズ(一九七六年、〈証拠略〉)
著者は、一般に、クロロキンの投与期間が一年以下で、総投与量が一〇〇g以下の場合には、ク網膜症の危険は極小か存在さえしないだろうとし、二、三の例外を除き、報告例の大部分は、総量約三〇〇g以上のクロロキンを三年以上にわたつて投与されたものである、としている。
(二七)マークスら(一九七九年、〈証拠略〉)
著者らは、クロロキン治療を受けている二二二例のリウマチ性疾患患者を観察し、このうち二二名の患者はク網膜症と考えられ投与を中止されたが、そのうち一名のみに視力、視野の低下をみたのみであつたこと、この患者は一日平均六〇〇mg、総服用量九九〇gの大量投与を受けていたことを報告し、クロロキン治療による眼障害の危険性は低い、としている。
2 考察
前記1において摘示した(一)ないし(一四)の文献に〈証拠略〉を併せ考えると、クロロキンの服用量の多寡並びに服用期間の長短とク網膜症の発症との間には相関関係の有無が明らかでなく、せいぜいマラリアの予防又は治療のための短期間少量の服用ではク網膜症は発生せず、したがつて右の程度であれば安全であると言えるのみであつて、右の程度を超える場合、つまり長期連用する場合の安全限界値を提示することは不可能であること、殊に我国では外国に比較すると少量の服用で発症している例が多く、その原因については人種差も問題となりうること、また、小児は成人より少量短期間の服用でク網膜症が発現する可能性があること、服用後発症までの期間は一定せず、服用開始後一年未満で発症する例がある一方、服用を中止してから数年を経て発症する例もあり、個人差が大きいこと等の事実が認められる。
前記1の(一五)ないし(二七)の文献中には、右認定に反し、クロロキンの服用量について安全限界値が存在することを示すかのような記載があるけれども、次の諸点に照らすと右各文献の記載はにわかに採用することができない。
すなわち、(一五)、(一七)、(一八)及び(二四)の文献は、結局いずれも自験した症例の観察を基にして安全性を設定しているにすぎず、右の安全量が普遍的な妥当性をもつことについての確たる根拠を示しているわけではない。
また、右のうち(一五)、(一七)及び(二四)の文献は、ク網膜症の概念を前述の今日多数の医師によつて採られている共通の見解より狭く解釈している嫌いがあり、(一五)においては二例に黄斑部色素沈着が、(一七)においては一一例に網膜の病的所見が、(二四)においては総服用量一〇〇g以下の群でさえその二%に視力減退を伴つた黄斑部変性が見られたにもかかわらず、著者らがこれを重視していないのは問題であろう。
そして、(一六)の文献は、右の(一五)の文献を引用して安全量の設定をしているにすぎず、(二〇)及び(二六)の文献は、安全量設定について特にその根拠を示していない。また、(二〇)の文献は、眼科医の手になるものではない。それゆえ、これらの文献も安全量を合理的な根拠をもつて提示したものとは言い難い。
(二二)の文献は、総投与量一〇〇g未満の患者についての症例報告が一件しか発見できなかつたことを、(二三)の文献は四〇〇症例を観察したある研究において服用期間一年、総服用量一〇〇g以下での発症がなかつたことをそれぞれ報告しているにすぎず、積極的に安全量を提示したものではない。
(二七)の文献も自験例では大量投与を受けた一名のみにク網膜症の発症をみたことを報告し、クロロキンによる眼障害の危険性は低いとしているにすぎないものである。
(一九)、(二一)及び(二五)の各文献は、いずれもむしろクロロキン使用の際の危険量を示したものであつて、右の量以下では使用が安全であることを主張しているものではない。このことは、(二五)の文献とほぼ同一の趣旨から書かれたと思われる(七)の文献との対比によつても明らかである。
四 早期発見法
外国文献23、62、28、29、36、42、47、48、49、50、51、63、57、日本文献2、9、82、84、92、95、97、101、102、104、106、〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
後述のように、ク網膜症はある程度病変が進行したものでは非可逆的であり、かつ、現在においても有効な治療方法が確立されていないため、眼底所見、視力、視野等に明らかな異常が見いだされる以前にこれを発見するための眼科的検査方法が早くから(外国文献23は一九六二(昭三七)年に書かれたものである)研究され始め、ERG(網膜電位図)やEOG(眼球電位図)等の光刺激に関連して起こる電気現象の検査、各種の色覚検査、蛍光眼底撮影、赤色光使用による網膜感度の測定等種々の検査法が内外多数の研究者によつて試みられてきたが、いずれの方法もいまだ十分な成果を収めておらず、今なおク網膜症の早期発見、すなわち、視力低下等の自覚症状が発現する前に網膜変性を発見することは、非常に困難であるとされている。
五 ク角膜症との関係
外国文献12、57、日本文献45、85、96、〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
ク角膜症とク網膜症との関係については、前者が後者の前駆症状であるというような関係はなく、前者と後者との発生の間にと相関関係は見いだされていない。しかしながら、ク網膜症とク角膜症が同一の患者に併存することはク網膜症の早期段階においても進行した段階においてもありうる(ただし、ク角膜症の発生率はク網膜症のそれよりはるかに高く、本節第三の三において述べたとおり、クロロキン投与患者のほぼ三〇%から四〇%に認められると報告されており、また、極めて少量かつ短期間の服用により発症が可能である―外国文献9、12、31、日本文献21、33、25、35、43、45、46、102。一〇六例のリウマチ患者を観察した木村千仭らの報告《外国文献43》によると五g以下の服用で一五・八%の患者に、四週以下の服用で二二・七%の患者にそれぞれ角膜障害が認められたという。)し、ク網膜症の診断を下すに当たり、その患者に以前にク角膜症が存在した事実を、病変とクロロキンとの関係を推認させる一つの根拠とみることは許される。
六 病理及び発症機序
ク網膜症は、進行すると失明もしくは失明に近い状態となり、クロロキン服用中止後半年以上経過した後に発症した例や一度ク網膜症に罹患するとクロロキンの服用を中止しても進行する旨の報告もあること、クロロキンが視機能にこのような重大な損傷を与える原因として、一説では、クロロキンが眼のメラニン系に長期間にわたり特異的に蓄積し、溶出が緩慢であること、網膜色素細胞のメラニン色素に親和性を有し、そこでのタンパク合成を阻害することによるといわれていることは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、右の争いのない事実に外国文献35、40、41、43、54、56、60、64、日本文献65、80、103、107、109、〈証拠略〉を総合すると、以下の事実が認められる。
動物実験では、クロロキンの投与により、まず色素上皮細胞の著しい腫張及び網膜内層への移動と細胞内に多くの層状構造物や油滴状顆粒の出現がみられ、ついで杆体、錐体の変性をきたす。網膜内層の変化は外層に比し軽度で時期も遅い。なお、有色種の方が無色種より網膜変化を起こしやすく、起こす時期も早い。
ヒトの網膜の剖検では、色素が網膜外層へ移動し、外顆粒層、外網状層に色素含有細胞の蓄積がみられ、杆体、錐体が変性している。
ク網膜症の発症の機序については、クロロキンがメラニンと著しい親和性を有することから、クロロキン服用により第一にクロロキンが網膜色素上皮のメラニンと結合して色素上皮細胞の代謝を阻害し、その結果続いて杆体、錐体も破壊されるとの説、クロロキンはメラニンと結合し、生体内特に網膜色素上皮で、紫外線あるいは近紫外線の存在下において、チオール基を持つ酵素群と反応しその活性を低下させることにより、細胞変性をきたすとの説等があるが、一方、クロロキンとメラニンとの結合は網膜症の第一次的原因ではなく、むしろクロロキンの蛋白合成阻害あるいは種々の酵素、核酸反応阻害等の作用が重要であるとする説、第一次的な変性部位についても、網膜色素上皮ではなく、視細胞であるとする説等も存在し、いまだに定説が確立するには至つていない。
七 予後
外国文献12、30、32、35、40、42、53、59、日本文献46、84、90、93、99、104、106、114、〈証拠略〉を総合すると、以下の事実が認められる。
ク網膜症の予後については、まれには視力、視野にやや改善をみたとの例(日本文献106)、視力にやや改善をみたとの例(日本文献84―ただし、視野は全例において悪化している。)も散見されるが、多数の例においては予後は非常に悪く(日本文献90、93、99、104、114、〈証拠略〉)、殊に、やや視力等に改善をみたとの例も長期観察の結果を報告したものでないことを考えると、その後の症状の推移については改善の方向に向かうものかどうか疑問があり、現に前記文献のいずれもがク網膜症の不可逆性を明言している。この不可逆性の原因については、クロロキンが組織中に高濃度で、しかも長期にわたつて存在することとの関係が示唆されている(外国文献30、35、59)。
ただ、病変のごく初期で自覚症状のまだない段階においては投与中止により病変が消失したとの報告(外国文献32、42、〈証拠略〉)もあるが、一方右の段階で投薬を中止しても病症が進行したとの報告(日本文献104等)もあり、投薬を中止すれば病症が改善する明確な段階を特定することはできない。いずれにしても、前記のとおりク網膜症の早期発見が非常に困難であり、かつ、明らかな他覚、自覚症状の現れた段階では既に病変は非可逆的であることから、定期的な眼検査を行つていても病変の進行を必ずしも阻止できるとは限らないといえる。
病変の進行の経過については個人差があり、一定の傾向はないが、那須欽爾(日本文献114)は、六年以上の経過観察を行つた六例について、服用中止後六年以上の後一二眼中七眼で中心視力が急激に低下したこと、また視野についても半数以上の例でこれとほぼ時期を同じくして中心の残存視野が失われ、輪状暗点から巨大な中心暗点に移行したことを報告し、このことから「従来、クロロキンに犯されにくく、2〜3度と小さいながらも視野を残し、視力も保たれると考えられていた中心窩の錐体も、六年以上を経過した後、ついには、抵抗性を失い、失明状態に陥る傾向が見られた。」とし、中心視力の残存しているク網膜症患者の予後についても楽観はできないとの意見を述べている。
また窪田靖夫(〈証拠略〉)も、長期経過観察を行つた一一例中六例で投薬中止後も病症の進行、悪化を認めたこと、またブルズ・アイの時期を超えて、なお投薬の続けられた症例では、例外なく投薬中止後も病症が進行したことを報告し、この時期を超えて投薬が続けられること、投与を中止しても変性の進行性が強く、しばしば失明に至る程予後は不良となるので、網膜症の早期発見が重要であるとの意見を述べている。
これらの文献及び前記の各文献(日本文献90、93、99、104)から、ク網膜症は投薬中止後も長期にわたつて進行することがしばしばあり、重症例では失明に至ることさえまれではないことが明らかであるというよう。
八 治療法
ク網膜症に対する有効な治療法は現在でも見いだされていないことは原告らとの被告製薬会社及び同国との間で争いがなく、右の事実と外国文献30、日本文献18、102、103、〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
ク網膜症の治療については、早くも一九六三(昭和三八)年にルービンらが塩化アンモニウムの投与(クロロキンの体内からの排せつの促進)及びブリテイツシユ・アンチルイサイト(BAL)の投与(クロロキンを組織結合から分離させる目的)を提案しており、その後末梢血管拡張剤の使用等も試みられているが、その効果には疑問があり、結局現在に至るもなお有効な治療法は見いだされていない。これは、いつたん破壊された視細胞(杆体、錐体)、神経節細胞、双極細胞等の網膜の神経細胞の再生が困難であることに起因するものと考えられる。
第二節 原告ら患者のク網膜症罹患
第一 ク網膜症と類似疾患との鑑別
一 はじめに
原告ら患者がク網膜症に罹患した事実については、被告Y7がその対応する原告X2(世帯番号42)の罹患事実を認めているのを唯一の例外として、その余の被告らは、その対応するすべての原告ら患者につきク網膜症罹患の事実を争つており、時としては、網膜色素変性症、腎性網膜症その他の病名を挙げて、原告ら患者の眼障害が右の疾患によるものと主張し、ク網膜症とこれらの疾患との鑑別の必要性を強調し、また、本件原告ら患者がク網膜症に罹患していると認められる場合であつても同時にこれらの他種疾患が競合していることもあるとして、眼障害に対するこれら疾患の寄与の割合を考慮することの必要性を説いている。
そこで、以下、視覚に障害を来す主要な他の疾患につき、その病像とク網膜症の病像の主な相異点を論じ、両者の鑑別について考察することとする。
二 網膜色素変性症
1 〈証拠略〉によると、次の事実を認めることができる。
内外の文献によつて、ク網膜症と病像が酷似していて、これと最もまぎらわしい疾患とされているのが、網膜色素変性症である。本症は遺伝性の疾患であり、劣性遺伝によるものが多いが、まれには優性遺伝によるものもある。
身長わい小、難聴、ろうあ、精神薄弱、肥満、性器発育不全等の他の遺伝性・変性疾患を合併していることが少なくない(一説によれば、本症の患者の約半数は身長がわい小であるという。)。
発生のひん度については、日本においては三四〇〇人から八〇〇〇人に一人ないしそれ以下といわれている。
初発症状で、しかも特徴的な症状は夜盲であり、一〇歳ごろに自覚するものが多い。
視野は、最初は輪状暗点を示すことが多く、次いでこれが内外方へ拡大し、高度の求心性視野狭窄となる。しかし、中心視力は比較的長く良好に保たれることが多い。
ERGには初期から異常が現れ、ある程度病状が進行するとERGは消失する。
眼底所見では、乳頭は黄色萎縮を示し(視神経萎縮)、動脈は細く、赤道部は緑色調や青色調等を帯び、周辺部にかけて多数の骨小体様の黒色色素斑が表在性に現れ、血管に付着しているものが見られるのを特徴とする。
このような網膜の変性は赤道部に初発し、やがて周辺部や中心部へ進展して行くのが通常である。
色素斑の発生のない無色素性の場合もあるが、これも長い経過中には徐々に色素の発生をみることが多い。
組織学的には、変性は杆体と色素上皮に始まり、やがて錐体と脈絡膜に及ぶ。
症状の進行は一般に極めて緩徐であり、約三〇ないし四〇年の経過をたどつて進行することが多い。しかし、進行度には個人差があつて一概には言えず、四〇ないし五〇歳代で失明又はこれに近い重篤な視覚障害を来す例が多いが、中には晩年まで比較的良好な視機能を保持する例もある。
2 ク網膜症と網膜色素変性症との差異、鑑別について触れた内外の文献の記載を要約すると、以下のとおりである。
(一)オークンら(外国文献62)は、ク網膜症は網膜色素変性症に比し、
(1)暗点がより中心性である。
(2)暗順応はク網膜症では後期に侵される。
(3)ERGでは錐体の喪失の方が杆体のそれより大きい。
(4)周辺には色素変性が出るのが非常に遅い。
と述べている。
(二)ウエツターホルムら(外国文献40)は、色素顆粒の存在部位が異なり、網膜色素変性症では色素顆粒は血管の周囲や内網膜層に集積する傾向があるのに対し、ク網膜症においては外網膜層にとどまる傾向があるとしている。
(三)ベルンシユタイン(外国文献43)は、ク網膜症でも色素斑が見られることはあるが、網膜色素変性症に特有な、大きく又は広範囲な骨小体様の色素斑はク網膜症で見られず、また組織学的にもク網膜症では色素移動は内顆粒層を越えて広がつておらず、血管周囲の色素蓄積もないことを指摘している。
(四)武尾喜久代ら(日本文献18)は、前述のオークンらの所説を引用し、また、自験例においてクロロキンによる角膜混濁があつたことを一つの鑑別のよりどころにしたと述べている。
(五)吉川太刀夫(日本文献84)は、ク網膜症では網膜に骨小体様の色素沈着を来したという報告はないとしつつも、ベルンシユタインが一九六八年の文献において発病後五、六年するとク網膜症でも骨小体様の色素沈着が起こつてくる可能性があると述べているとしている。
(六)柳沢仍子ら(日本文献85)は、進行したク網膜症は網膜色素変性症にかなり近い所見を呈するが、前者では骨体小様の色素斑が見られることはないとする(自験例でもごま塩状の異常色素沈着は認めたと言う。)
(七)中島章ら(日本文献102)は、ク網膜症でも網膜、特に黄斑部に色素斑が現れるが、網膜色素変性症のように血管に沿つてはつきりした色素斑を形成することはないと言う。
(八)窪田靖夫(〈証拠略〉)は、網膜色素変性症では初期においても黄斑部の輪状混濁やブルズ・アイは決して見られないとし、またク網膜症の末期でも網膜色素変性症との鑑別は困難ではない、すなわち、ク網膜症では骨小体様の色素出現はなく、色素出現はあつても、後極部に淡褐色の色素が不規則にわずかに出現するのみである、と言う。
また、ク網膜症でしばしば認められるa、b波減弱、律動様小波消失、b波頂点延長等のタイプのERGは網膜色素変性症では極めてまれであること、ク網膜症ではかなり進んだ段階に至るまで光覚が比較的良く保たれているのに、網膜色素変性症では初期から光覚が高度に侵されることが多いことを指摘している。
(九)小沢哲磨ら(〈証拠略〉)は、ク網膜症では、ERG反応が強く侵されているにもかかわらず、暗順応の機能が比較的良いことを指摘し、この点が網膜色素変性症との鑑別に有用である、と言う。
また、網膜色素変性症の患者がクロロキンを服用しク網膜症を合併するに至つた自験例について述べ、一般に網膜色素変性症では、黄斑部は最後まで障害されることが少なく、高度の視野狭窄に至つても視力は比較的良く保たれているのに、本症例では、まだ骨小体状の色素が多数には集結してない病期にあるにもかかわらず、黄斑部の異常が著しく、これに対応してクロロキン内服後視力が低下していることを指摘し、「本症例の場合のように(ク網膜症が)網膜色素変性症と合併した場合においても、その鑑別は、異なつた臨床単位のものとして分離が可能なように思われる。」と結んでいる。
3 以上を総合すると、ク網膜症と網膜色素変性症の鑑別については以下のようにまとめられる。
眼底所見は、初期においてはかなり異なるが、かなり進行した症例では、両者は類似した所見を呈することもある。その場合、網膜色素変性症の特徴である骨小体様の色素斑が多数出現し、血管に付着しているものが見られるとの病像がク網膜症では通常見られないことが、両者を識別する大きな鑑別点となる。
組織学的にみると、網膜色素変性症では色素は内網膜層に蓄積する傾向があるのに対し、ク網膜症ではより外層にとどまる傾向があり、内顆粒層を越えての色素移動はない。
その他の所見では、ERGにつき、ク網膜症においてしばしば認められるa、b波減弱、律動様小波消失、b波頂点延長等の所見は網膜色素変性症では極めてまれであること、ク網膜症ではかなり進んだ段階(この段階ではERGは強く侵されることが多い)に至るまで光覚(暗順応)は比較的良好であるが、網膜色素変性症では早期に光覚が強く侵されることが重要な相違点である。
その他、症状の一般的経過、進行、発病の時期、クロロキン内服と症状の関係等の総合判断も意味がある。
また、無色素性の網膜色素変性症との鑑別も、色素斑以外の点の鑑別により可能である。
なお、オークンらは、ク網膜症では暗点がより中心性であるとの点を鑑別点として挙げているが、この点については、前記のようにク網膜症においても周辺視野狭窄を視野異常の主症状とすることがありうるので、これを鑑別点として掲げるのは妥当ではなく、他の文献も視野の点にはほとんど触れていない。
三 ブルズ・アイを呈する他疾患
〈証拠略〉によると、以下の事実が認められる。
ブルズ・アイはク網膜症のみに見られる症状ではなく、他の多くの眼疾患においても認められることがある(ボネ(〈証拠略〉)は、「この概念は、しばしば、黄斑部色素上皮のびまん性疾患の初期段階を捕らえるものにすぎない。」と言う。)。
したがつて、ブルズ・アイが眼底に認められたというだけでは、ク網膜症の診断を下すことはできない。
ブルズ・アイが認められたことが報告されている他の疾患は、スターガルト病、錐体ジストロフイー等の遺伝性疾患が多いが、老人性黄斑部変性、眼底黄斑症等の後天性の網膜変性症でも見られることがある。遺伝性疾患の場合には、家族にも何らかの眼障害が認められることが多い。
しかしながら、これらの眼疾患とク網膜症とは、ブルズ・アイが見られることがあるという点を除いては臨床像が明らかに異なるので、他の所見を加えて判断すれば鑑別は困難ではない。
したがつて、前述のごとく、ブルズ・アイが認められたということだけからク網膜症との診断を下すことはできないが、同様に、ブルズ・アイが認められたということだけからク網膜症以外の疾患であるとの診断を下すこともできない筋合であつて、他の所見と総合的に判断する必要があるのである。
四 高血圧に関係する網膜症
〈証拠略〉、日本文献45、85、96を総合すると、以下のとおり認められる。
1 概説
高血圧に関係する眼底病名については、高血圧性網膜症、動脈硬化性網膜症、腎性網膜症(以上はいずれも慢性腎炎にみられうるものである。)、全身性エリテマトーデスに起因する網膜症等種々のものがあり、その概念についてもいまだ十分な見解の統一をみていない。
要するに、高血圧に関係する網膜症を、本態性高血圧に起因するものと、各種の疾患(例えば腎炎)を原因とする二次性高血圧に起因するものとに分類しているのが現状であり、その病像は程度の差こそあれかなり似かよつたところがある。
これらの疾患のうち被告らによつて本件原告ら患者の眼障害の原因として具体的に主張されているのは、腎性網膜症及び(悪性)高血圧性網膜症であるが(腎性網膜症の主張が大部分であり、高血圧性網膜症のみの主張は多くない。また「腎性ないし高血圧性網膜症」という包括的主張も多いので,一応慢性腎炎において見られうる網膜症の主要なものである前記の三疾患の病像について説明する。エリテマトーデスに起因する網膜症については、特定の原告ら患者についての具体的主張はない。)、ここでは説明の便宜上これら疾患の病像の基本である高血圧性網膜症から論ずることとする。
2 高血圧性網膜症、悪性高血圧性網膜症
前者は次の掲げるキース・ワグナー分類の3ないし4群、次に掲げるシヤイエ分類の高血圧変化三ないし四度、硬化性変化二ないし四度に相当するものであり、後者はこれに乳頭浮腫の加わつたもの(キース・ワグナーの分類の4群相当)である。
(図1)キース・ワグナー分類
(図2)シヤイエ分類
自覚症状は初期にはほとんどなく、眼底検査で偶然に発見されることが多い。ただし、黄斑部に病変が初発すれば最初から視力障害を訴える。後期では眼底所見は広範となり、これに伴つて種々の視力障害を訴える。
悪性高血圧性網膜症は比較的若年者、中年者に多くみられ、高齢者にはまれである。その予後は極めて悪く、一年内に八〇ないし一〇〇%が死亡するという。
なお、高血圧症における高血圧性眼底の発見ひん度は一般に極めて高く、血圧亢進者の大多数(八〇ないし九〇%)にみられるが、その大半はほぼキース・ワグナー分類の1ないし2群に相当するものであつて、この眼底を高血圧性眼底と呼んでいる。
すなわち、高血圧があり、血管系の変化(硬化・狭細・口径不同・側線)があり、網膜面に出血・硬性白斑及び静脈〔枝〕閉塞に基づく軟性白斑等を認めても、動脈の著しい狭細、網膜浮腫・乳頭浮腫・典型的な綿花白斑を認めない眼底を高血圧性眼底と呼び、その全身状態も、安静を守れば血圧は下降するものであり、健康状態は良好である。
一般的にキースワグナー分類の1・2群を良性群、3・4群を悪性群として大別するが、良性群と悪性群、また3群と4群の鑑別は比較的容易であり、1群と2群の鑑別は比較的困難である(しかし、大局的に見れば1群・2群はいずれも良性群なので、予後の判定にさほど差し支えはない。)といわれている。
以下、悪性群に属する網膜症を通常の高血圧性網膜症と悪性高血圧性網膜症とに分けて、眼底の特徴的な所見を略述する。
(一)高血圧性網膜症
動脈に種々の硬化変化や細動脈の狭細化が起こつており、口径不同、動静脈交差現象、反射増強、迂曲等が見られる。静脈系には、怒張、口径不同(部分的拡張)等が見られる。
進行してくると、網膜は少しく浮腫状態となり、これに伴つて乳頭像がわずかに不明瞭となり、網膜のところどころに灰白色の斑状部が現れ、あるいは乳頭の周囲に放線状の細い線が見えてきたり、血管の輪郭が不明瞭になつてきたりする。
出血は、一般に後極、特に乳頭周囲に多く、初めは表在性線状・火炎状で主要血管に近く現れる。しかし、後には円形・点状で深在性を示し、また眼底のどの部分にも見られるようになる(組織学的には、前者は毛細血管性―表在性の出血であるが、後者は神経繊維層より外層《深層》の出血であり、吸収が悪く、したがつて組織障害を起こしやすく、視力に対する予後が良くない。)。
各種出血は位置によつて視力に影響を与える。すなわち、出血が黄斑部に起これば視力は非常に悪くなるが、出血が黄斑部を避けている場合には、視力には何ら障害を与えないことが多い(本人には何ら自覚症状がないが、他疾患の診断等のために眼底を検査すると小出血を発見することはしばしばあるという。)。
白斑も特徴的所見である。血圧亢進の重症型では軟性の綿花状白斑(白い綿をちぎつて置いた感じのする白斑で、組織学的には神経繊維の節細胞状肥厚であるという。)が現れ、特に乳頭―黄斑部を中心として多い。一般に表在性である。出血を伴うことがある。
硬性白斑(円形又は不正形で、大きさはさまざまであり、光つていて境界が鮮明である。病理学的には、出血や浮腫、滲出物の吸収した跡にグリア組織が増殖したもの、類脂肪含有の蛋白質又は脂肪顆粒細胞の集団等によるものであるという。)も認められる。多くは深く網膜にはまりこんで見られ、血管の下に位置する。眼底後極部に多いが、時には周辺まで広く分散して見られる。黄斑部では特有な形状を示し、星芒状白斑(黄斑部に中心窩反射を中心に白線が放射状に並んでいるもので、殊に後述の腎性網膜症に多く見られる。)と呼ばれる。
以上、高血圧性網膜症では動脈の著名な硬化性変化・狭細化、綿花状白斑、出血等の症状が見られ、特徴的な眼底所見を呈するのであるが、これらの症状はいずれも本症のみに限られた特有の所見ではないから、診断に当たつては総合的に症状を判断する必要があることはいうまでもない。
(二)悪性高血圧性網膜症
眼底所見は右の高血圧性網膜症の所見に加えて乳頭浮腫が加わる。周囲の網膜浮腫も一般に著明で、著しいときは網膜が剥離している。
その他の所見は高血圧性網膜症に準ずるが、病像の及ぶ範囲はしばしば限られており、乳頭とその付近の所見のみが顕著な症例がまれでない。若年に発病した悪性高血圧の初期では特にそうである。
しかし、詳しく観察すれば、細動脈系の著しい狭細化、多数の綿花状白斑、大小さまざまで多数に現れる硬性白斑(乳頭周囲の輪状配列、黄斑部の星芒状白斑)等の所見が認められる。出血斑も時には広範かつ多数に見られ、閉塞した細動脈の付近に放線状に配列していることもある。
3 動脈硬化性網膜症
血圧亢進が久しく持続し、網膜動脈系に硬化が発生して数年を経た患者に発生する網膜症である。
眼底所見は以下のとおりである。
網膜血管系に著しい硬化を認め、口径不同、銅線もしくは銀線動脈、白鞘形成、動静脈交差現象が明白であり、細血管枝は硬化して迂曲を示す。
視神経乳頭は、境界が多少明瞭を欠く時もあるが、それ以外の変化はなく、後期には多少の萎縮を伴う。いずれにせよ網膜及び乳頭に浮腫を全く認めない。
特徴となる硬性小白斑は、主として眼底の後極部に現れ、円形・境界明白で散在性(時に輪状あるいは星状)に配列する。まれにもやや大きい白斑も見られる。
出血斑も、散在性で小さく、主要血管との関係は一定していない。表在性のこともあり深在性のこともある。
以上のように、動脈硬化性網膜症は、網膜動脈には著しい硬化所見と出血、白斑を認めるが、網膜浮腫、綿花状白斑(軟性白斑)、乳頭浮腫を全く欠き、網膜動脈系で広範に著しい痙縮像が認められない網膜症であり、また、しばしば片眼性である(症例の四五%に及ぶという。)
その発生については、網膜静脈閉塞症の陳旧化した場合や、高血圧性網膜症が血圧の降下後本症の病像へ変化したものと考えられる場合が多く、高血圧↓網膜動脈硬化に続いて徐々に本症が発生する場合は比較的まれであろうといわれている。
本態性高血圧症例の眼底検査によつて偶然発見された場合には、本症はキース・ワグナー分類2群に分類されるが、ある患者に高血圧性網膜症を認めて経過を観察中、次第に本症に移行した場合には、キース・ワグナー分類3群として取り扱われるという。
なお、本症は、これに続発して網膜前出血、網膜静脈血栓、網膜動脈塞栓等の大出血や血流遮断が起こると視力に大きな影響があるが、そうでない限り自覚症状もないことが多い。
4 腎性網膜症
腎性高血圧に伴う高血圧性網膜症の一種(特殊例)とみてよいものであり、窒素血症に血圧亢進が加わつているときに起きる。眼底病変がかなり特徴的で通常の高血圧性網膜症と若干の相違を示す。
その眼底所見は極めて特徴的なものであつて、乳頭の強い浮腫混濁、星芒状白斑及び多数の綿花状白斑の存在並びに出血が認められ、成書にも、例えば、「その特徴は、乳頭浮腫が強く、その浮腫は混濁し、網膜の微小血管の走行などが不明瞭となり、綿花様白斑の数が多く、乳頭周囲や眼底後極に密集して現れやすい。」旨(〈証拠略〉)、「両眼性に起こり、乳頭には混濁・浮腫・腫張を認め、乳頭周囲の網膜にも浮腫混濁があり、後極部の網膜は全体として薄く灰色を帯びて正常の網膜に見られる生き生きとしたつやを失い、びまん性の混濁の中に出血や綿花状白斑を認め、血管系には細動脈硬化性の諸変化がある。黄斑部には中心窩を取り巻いて星芒状白斑を生ずることがしばしばあり、極期には動脈は極端に細く、網膜は暗くしばしば暗青緑色調を帯びて混濁肥厚し、網膜剥離をみることもある。要するに細動脈硬化を伴つた視神経網膜炎の所見で、特に動脈が異常に狭小なのが最初から目立つている。視力障害は必ず伴つており乳頭浮腫の有無が判定の鍵である。」旨(〈証拠略〉)、「本症は原則として両眼が侵される。本症の特徴は乳頭炎と網膜の浮腫であり、それに星芒状白斑・綿花状白斑・出血斑・血管変化が加わる。乳頭は発赤し混濁しており、混濁が高度の場合には乳頭上の血管の分岐すら分からないことがある。一般に乳頭の境界は不鮮明である。黄斑部に中心窩反射を中心に早線が放射状に並んでいる。一般には小出血と混在して綿屑状白斑が散在している場合が多く、硬い感じの小円形白斑が散在していることもしばしばある。血管は一般に動脈硬化が高度であつて細小となり、銅線状あるいは銀線状を呈し、またしばしば交差現象が見られる静脈は怒張していることが多い。常に刷毛状の小出血が白斑、主として綿屑状白斑と混在している。」旨(〈証拠略〉)記述されている。
自覚症状としては、出血・白斑の状態により視力視野の障害を訴え(この点は高血圧性網膜症と同じ)、網膜剥離を起こした場合には相当大きな視野欠損が起きる。
慢性腎炎に明白かつ高度の網膜症が発生したときは、腎炎が末期に入つたことを示し、その後の生存期間の平均は四・〇ないし四・三か月であるといわれ、悪性高血圧性網膜症の平均生存期間が一三か月であるのと対比すれば、はるかに短い。
慢性腎炎では、その久しい経過中、反復して眼底を検査しても遂に眼底が正常である例は約一〇%にすぎないといわれ、大半の例ではある時期に眼底に何らかの病変を認める。
しかしながら、管理のよい慢性腎炎はある程度の高血圧はあつても眼底は長く高血圧性眼底(キース・ワグナー分類の1ないし2群)の状態にとどまり、細動脈硬化性の変化はそう著明でないことが多く、したがつて視力、視野等の異常を示すことはない。
5 全身性エリテマトーデスに起因する網膜症
本症は、全身性エリテマトーデスによる高血圧症に基づく場合と、血圧は正常であつても全身エリテマトーデス自体による発生する場合とがある。
前者は要するに高血圧症の網膜症の一種であり、また、後者は細動脈の閉塞による出血を特徴とするものであつて、その眼底所見は出血を特徴とするかなり特異な症状を持続的に呈する。
6 ク網膜症との鑑別
以上に述べたように、前記2ないし5の各疾患はいずれもク網膜症とは異なる特徴的な眼底所見を示すものであり、一回限りの眼底検査によつては鑑別し得ない場合であつても、繰り返し検査を行い、症状の経過を観察することにより、右各疾患とク網膜症との鑑別は比較的容易に行うことができるものである。
すなわち、病理学的にはク網膜症が色素上皮層、視細胞等の網膜外層の変性疾患であるのに対し、高血圧性の網膜症はいずれも血管性の病変であつて、侵される部位も態様も異なつている。そこで、高血圧性の網膜症では出血、白斑及び乳頭浮腫が継続して広範に現れることが多いのに対し、ク網膜症では出血や白斑等が認められるのはまれであつて、これらが見られても比較的一過性であり、症状全体の推移の中で小さな部分を占めるにすぎない。その上、前者では血管性の病変であるため病変の現れる部位が限定されないが、後者では、病変が黄斑部に初発して周辺部に広がつて行くものが多い等、病変の現れる部位に規則性や特徴がある。
なお、前述のように慢性腎炎の大半の症例には、その長い症状の経過中、何らかの眼底変化が現れることがあるというのであるから、これによる網膜動脈の幾分の狭細化及び硬化現象がまま見受けられるのは当然のことである。しかしながら、症状が高血圧性眼底の段階にとどまつている限り視機能にほとんど影響はなく、それが腎性網膜症又は(悪性)高血圧性網膜症に進行し、重篤な眼障害を呈するに至つた場合には、右各網膜症の基本となる腎障害はいずれも非常に予後が悪く、殊に前者の場合人工透析等を早急に行わない限り四か月程度で死亡することが多い(ただし、人工透析を行つても必ず症状の回復をみるとは限らず、なお悪化することも多い。)ので、この点からもク網膜症との鑑別は可能であるということができる。
第二 ク網膜症の認定基準
一 ク網膜症の診断基準と診断方法
〈証拠略〉を総合すると、次の事実が認められる。
ク網膜症の診断のためには、従来のク網膜症の報告例とおおむね矛盾しないような形の網膜の変性があること及びクロロキン製剤の服用歴があることの二点をもつて医学上は十分とされている。
ク網膜症は、変性疾患の一つであつて、変性疾患は、細菌等による感染症の場合等と異なり、その原因を厳密な意味で科学的に確定することは必ずしも容易とは言えない。しかしながら、クロロキンによる網膜変性は、網膜変性疾患一般の中でもかなり際立つた特徴を有しているので、病変部の状態だけでなくクロロキン製剤服用後における眼障害の発症とその症状経過、所見の推移等を加味して全体的に判断すると、相当程度の蓋然性をもつてク網膜症の診断を下すことが可能である。
ク網膜症の診断のためには、まず、網膜の変性を確認することが必要である。その手段として各種の検査を行うが、基本的に必要なのは、視力、視野、眼底の検査であり、眼底検査に異常があり、視野検査においてそれに対応した箇所に暗点が証明されれば、網膜の変性を確認することができる。更に、眼底所見を記録するためには眼底写真を撮影したり、補助的な検査としてERG測定、場合により色覚検査等を行うこともある(これらの検査の中ではERG測定が比較的重要である。)が、いずれもあくまで網膜の変性とそれがク網膜症の特徴を有するものであるか否かとを確認するための手段であり、それらの検査の一つでも欠けば、正確な診断が不可能になるというようなものではなく、順天堂大学においても、ク網膜症の診断のために視力、視野及び眼底の検査並びにERG測定は行つているが、蛍光眼底撮影や暗順応検査は余り実施していない。
診断に当たつては、殊に眼底所見が重要であり、〈証拠略〉には、「クロロキン網膜症の診断は、もしある程度以上病変が進行したものであれば、特異な臨床像を見ることにより、多くの場合、むしろ容易である。…診断の根拠は、主として眼底所見によるものである。従来記載されている所見に類似したものであり、いずれも病変がかなり進行したものである。これらの症例の診断は極めて容易であるといえる。いずれもクロロキン製剤を3〜5年のかなり長期間服用し続けている。」との説明があり、また〈証拠略〉には、「昨年度の本班報告において、クロロキン網膜症類似の眼底変化を示す遺伝性の変性疾患についての報告を行つた。その中でクロロキン網膜症でのみ発現する特異な症状はないが、全体としては握すると、クロロキン網膜症と、他の変性症の鑑別が可能であることを示したが、本症例の場合のように網膜色素変性症と合併した場合においても、その鑑別は、異なつたクリキカル・エンテイテイ(臨床単位)のものとして分離が可能なように思われる。」との説明がある。
その診断は、特殊な技術、経験を要するものではなく、ク網膜症についてのある程度の知識があれば、通常の眼科医にも可能なものである。
もちろん、網膜変性に対応する眼底所見が従来の報告例と余りにもかけ離れているものであれば、診断は比較的困難となるが、反面このことのみでク網膜症を否定することもむずかしい。
また、クロロキン製剤服用以前になんらかの眼障害があつたことが証明された場合は、右疾患と網膜変性との因果関係が問題になるが、逆に、服用前に眼が正常であつたことが明確であれば、その事実によつて、ク網膜症の診断の確度は非常に高くなると言いうる。
遺伝関係については、家族に遺伝性の網膜変性疾患があること等が証明された場合、診断は慎重になされるべきではあろうが、家族に遺伝性疾患があつても必ずしも本人にもそれが発生するとは限らないので、この事実のみからク網膜症を否定することはできない。
以上のように認められるところ、〈証拠略〉には、その「クロロキン網膜症の診断」の項に、眼底の精密な検査の外に蛍光眼底撮影、定量視野の測定、ERG測定、暗順応検査、色覚検査等の実施が不可欠であるかのような記述があるけれども、これを、同一の著者によつてほぼ時期を同じくして書かれた日本文献108の記述と対比してみると、〈証拠略〉の右記述は結局右のような各種検査がク網膜症の早期診断に有効であることを強調しているものにすぎず、相当程度に進行した網膜変性をク網膜症と診断するについても前記の諸検査の実施が不可欠であるとする趣旨ではないものと解される。このことは、右記述の前段において著者の引用している文献がすべてク網膜症の早期診断に関するものであることから明らかである。そして、他に前段の認定に反する証拠はない。
二 ク網膜症罹患の認定とその資料
1 クロロキン製剤の服用事実の認定
第一節において述べたように、クロロキンの服用量及び服用期間とク網膜症の発症との間には相関関係の有無が明らかでなく、その安全限界値を提示することはできない。したがつて、ある患者についてク網膜症との認定を下すにつき、その前提として要求される同人のクロロキン製剤の服用歴としては、ある程度の期間にわたつてある程度の量のクロロキン製剤の服用があつたことをもつて足りるというべきである(もちろん、それが例えば全体で数日間の服用といつたような極端に短い期間であつたときは別である。)。そして、右服用事実の証明については、投薬した医師がカルテに基づき作成した投薬の期間と量を明示した投薬証明書又は右医師の証言が最良の証拠資料であるとことはいうまでもないが、種々の事情からこれが得られない場合もままありうるのであつて、そのような場合、クロロキン製剤の購入先の薬局又は薬店の証明書、本人の服用の記憶、その記憶に誤りのないことを裏づける種々の補助証拠とその他右服用の事実をうかがわせる間接証拠による証明も許されることはいうまでもなく、ただ証拠価値の評価の問題が残るにすぎない。
2 医師の診断書の証拠評価
原告らのク網膜症罹患の事実の有無の法的判断に当たつても、医師の臨床診断の場合と同様、その証明は相当程度の蓋然性あるをもつて足り、一〇〇%の科学的厳密さによる証明を要しないものと解するのが相当である。その判断の最も有力な資料となるのは、眼科専門医による診断であるが、診断書の証拠価値を吟味する際には、次の点について留意する必要がある。
(一)診断書の文言
本件において原告ら患者のク網膜症罹患の事実を証明するため原告らの提出した診断書のうちには、診断結果の記載として、「クロロキン網膜症の疑い」又は「クロロキン網膜症が最も疑われる」等、断定を避けた表現が用いられているものがあるが、このことのみによつて直ちにその診断の確度が低いということはできない。なぜならば、前述のようにク網膜症のような変性疾患の場合には、その診断は、科学的に厳密な意味で一〇〇%の確実性をもつて下すことはできず、臨床的には蓋然性が高いということをもつて満足せざるを得ないところから、一応、診断医が断定を避けて「疑い」等の文言を付する場合のあることが考えられ、また、通常医師は右のような意味合いで「疑い」等の文言を使用することが多いことから、その文言に必ずしも否定的なニユアンスはないことが、〈証拠略〉によつても認められるからである。
(二)診断書の記載内容
原告ら提出の診断書中には、統一診断書として視力、視野、眼底所見の症状の推移の記載があるものの外に、症状の詳細な記載のないものや判断の根拠が明示されていないものもある。しかし、後者のような診断書であつても、そのことのみによつて価値が低いものと一概に論定することはできない。
一般に眼科医その他の医師の作成する診断書には診断結果の根拠の記載のないものも多く存在することは、〈証拠略〉によつても認められるところであるし、責任ある眼科医であれば、通常右のような診断を下す前提として、網膜変性を確認するために必要な各種の検査を行い、また、各種の先天性、後天性の網膜疾患、特に投薬原疾患に起因する網膜疾患(〈証拠略〉によると、眼科医はク網膜症の診断に当たつて、内科の既往歴には特に注意するものであることが認められる。)等との鑑別診断を行つていると考えられるからであり、また、このことは、症状の推移等について詳細な記載のある診断書の場合には、より確実に言えることであるが、そうでない診断書の場合にも、検査の方法についての記載や他疾患との鑑別についての記載がないからといつて診断医がそれらを行わなかつたとは通常考えられないからである。
第三 原告ら患者のク網膜症罹患の有無に関する当裁判所の認定
原告ら患者と原告らとの続柄(患者本人又は配偶者もしくは父母兄弟姉妹等の別)が原告ら主張のとおりであること、原告ら患者がそれぞれの主張の原疾患を有していたことは当事者間に争いがなく、第一節第二ないし第四並びに本節第一及び第二において認定判断したところに基づき、本判決理由末尾添付の別紙個別損害認定一覧表(以下「個別認定表」という。)掲記の各証拠を総合して考察すると、原告ら患者各人につき個別認定表「クロロキン製剤の服用状況」欄、同「投薬原疾患名及び病状経過」欄、同「眼障害の発症及びその後の病状経過」欄及び同「現在の病状」欄記載の各事実、すなわち、原告ら患者は、それぞれ同表記載のとおり、原疾患治療の目的で各病院又は診療所からクロロキン製剤の投与(処方)を受け、又は薬局から直接購入して、これを服用したところ、視力の低下及び視野の欠損を主症状とする眼障害が発症するに至つたが、その後の病状の経過及び現在の病状は同表記載のとおりであることが認められる外、右の原告ら患者各人の眼障害は、いずれも個別認定表記載のクロロキン製剤の服用に起因して生じたク網膜症によるものであることが認められる(なお、前述のように原告らと被告Y7との間では原告X2のク網膜症罹患の事実について争いがない。)。
以上の認定に反する当事者の主張中主要なものについては、これを採用しない理由を同表の「付加説明」欄に判示した。
なお、個別認定表世帯番号68の患者である原告X3については、同表において認定説示したとおり、同原告がキドラを服用した事実を認めるに足りる証拠がない。
したがつて、原告X3、同X4、同X5及び同X6の本訴各請求中被告Y4に対する部分は、その前提を欠くことに帰するので、その余の争点につき判断するまでもなく失当として排斥を免れないものである。
第三節 クロロキン製剤による眼障害の医学的知見
第一 外国における医学的知見
一 別紙外国医学論文一覧表記載の各文献が存在することは、原告らと被告製薬会社及び同国との間で争いがない。
そこでまず、一九五九(昭和三四)年までに公にされた各文献の内容を眼障害を中心に要約すると、次のとおりである。
1 外国文献1―一九四八年
幾つかの四―アミノキノリン化合物の毒性の研究報告で、毒性効果のうち最も目立つたのは、その一つ(SN七六一八)を服用した三二人のうち一八人に眼の症状(眼がおかしい、重く感ずる、視覚がぼんやりしている、うち一人は朦視を訴える)が現れたことで、これは、投与量を一日四〇〇mgに増加すると現れた,と報告している。
なお、右のSN七六一八は、アメリカの抗マラリア研究調整委員会が抗マラリア剤の開発研究で、各種の化学物質の中から選定した物質であり、後日クロロキンと命令された。
2 外国文献2―一九四八年
抗マラリア剤である七―クロロ―四―アミノキノリン(SN七六一八)、すなわちクロロキンが重篤な毒性をじやつ起することなくマラリア抑制剤として長期間投与しうるか否かを確認する目的でなされた研究報告である。
従来、クロロキン塩基量は、マラリア治療用として三日間で一・五g、抑制用として一週当たり〇・三gが適量とされている。そこで、囚人各二〇人のグループを二つ作り、一年間一つのグループには七七日間毎日クロロキン塩基〇・三g(七七日間合計二三・一g)、その後一週間に一回同塩基〇・五gを投与し、他のグループには週同塩基〇・五gを投与して観察したところ、前者の半数に視覚症状(近くの物から遠くの物に素早く焦点を移すのに難渋する)、視力障害等が現れたが、投与量を週〇・五gに減量すると視覚症状は消失した。後者のグループでは視覚症状が時折みられたにすぎない。したがつて、この研究の条件下では、クロロキンは、前記の適量が投与されているときは安全な抗マラリア剤である、と結論づけている。
3 外国文献3―一九五七年
クロロキン製剤は皮膚疾患治療にも使用されるようになつたが、著者(ゴールドマン)らが見てきた過去四年間のこの薬剤に対する諸反応を振り返つて見た報告である。
慢性かつ難治性の皮膚症に用いられる他の化学療法剤と比較すると、クロロキンは比較的毒性が低い化学物質であると信じられてきたし、実際クロロキン剤が過去一〇年間マラリア抑制計画に使用されてきたが、マラリア治療計画の多くは短期間であつて皮膚科疾患の場合とは全く異なることを忘れてはならない。皮膚科医にとつての問題点は、主として慢性的な毒性に関する問題である。
著者らが得たクロロキンに対する薬物反応の一つのグループ(小さな、もしくは不快な反応のグループ)のうち最もやつかいな徴候は眼症状であるが、これはどの例でも完全に消失した。亜急性テリテマトーデス患者二名では最初クロロキンが重篤な眼底変化を引き起こすことが懸念されたが、これは証明できなかつた。この患者の双方共に視野の重篤な狭窄が引き起こされた。
結論として、クロロキンは、実際の皮膚科治療で一般に使用されているが、その長期にわたる治療経過にもかかわらず比較的毒性は低い、という。
4 外国文献4―一九五七年
著者(キヤンビアギー)は、全身エリテマトーデス患者を約一年間観察し経過を知る機会を得、エリテマトーデス患者に発生することが報告されている眼障害のうちのいろいろな症状が観察されてきたが、著者が知る限りではこれまでに報告されていない眼底変化を示した一例を報告したものである。
患者(三七才の女性)は、リン酸クロロキンを二五〇mg一日二回投与されていたところ、一九五五年三月になるとあらゆる物が暗く見えると訴え、同月八日眼検査の結果わずかな表在性の角膜混濁及び虹彩の下半分に両眼性びまん性の萎縮又は形成不全があつた。クロロキンは、眼障害の原因であるかも知れないという疑いで中止された。一九五五年六月再入院し、ヒドロキシクロロキン(ブラキニール)が漸増投与され、同月末両側黄斑部に乳頭よりやや小さめの黒点が出現し、その黒点の中央に早期萎縮と思われる小さな白色部分が現れ、七月一七日萎縮範囲は拡大し、濃い色素縁で囲まれた。右眼下部耳側四分の一の赤道近くに綿花様滲出斑が現れ、左眼底下方周辺部には網膜表層に位置する小さな色素顆粒がみられた。同じく左眼乳頭から二乳頭径下の下鼻側に小さな色素斑が存在した。九月再検査時に黄斑部萎縮は拡大し、以前同様の色素縁がみられ、両側中心窩に小さな赤い部分が認められた。綿花状滲出斑は消失していた、視力は右眼2040、左眼2070で、視野は中心、周辺共に一〇度まで狭窄していた。
しかし、著者は、クロロキンを中止しても改善しなかつたので、右の網膜病変の原因要素としてクロロキンは除外することができると思う、と述べている。
ところが後日―一九六四年―右症例がク網膜症であることが病理学的に確認されている(外国文献43)。
5 外国文献5―一九五八年
最近になつて、特にテリテマトーデス等の疾患の治療に使用されるクロロキンの泰効性が大量の実験的使用を促し、ために眼症状がそれ以前に増して現れるような傾向にあり。著者(ホツブスとカルナン)は、クロロキンの服用からもたされる最も油断のならない、そして一時的でない状態に注意を向けた(その出現は投薬の期間も量もかなり個体差がある。)それは、充血性の緑内障を思わせるような暈輪と角膜上皮層に特徴的な沈着物とを伴つた視力障害である。
クロロキンの投薬を受けた三〇人の患者を調べた。うち二八人(数週間から二年間にわたる治療期間中か、それが終つた直後に調べた人の数)のうち、一九人は、眼がかすんだり、もやがかかつたようになる(うち四例)、眼がかすんだり、光線の周りに色のついたリングが出現する(うち三例)、等の症状を訴えた。細隙灯顕微鏡で調べたところ、右二八人のうち二二人に角膜変化がみられた。
クロロキン治療の間、これら変化が徐々に進行するのがみられたし、治療を中止した時もつとゆつくりとした変化の消退が幾つかの例でみられた。このことは、それらの変化がクロロキン治療によつて起こつたということを確実ならしめる。これらの進行に必要な時間と使用量の関係等はまだ明らかでない。しかし、我々が観察中の少なくとも一例は、それら変化によつて次第に視力を失つて行くのかも知れないことを示唆している。それゆて、これら評価の定まつていない(非常に貫重な)治療をする間は、注意深い眼科的監視が必要である、と述べている。
6 外国文献6―一九五八年
著者(カルキンズ)は、種々の診断名でクロロキン治療を受けている七つの臨床例を報告している。
ある型の視覚障害(「眼の上に薄膜があるようだ」「眼の上のかすみ」「日光の下でのまぶしさ」「光の周りの暈輪」など)がすべての症例において存在し、そしてすべてに両側性の角膜上皮変性が現れている。中止された症例では自覚症状も客観的な角膜の変化も顕著に改善し、完全にきれいになつている。ずつと続けられている一症例では角膜の変化は非常にゆつくりではあるが進行している、という。
7 外国文献7―一九五八年
ぼやけた視覚をもたらす角膜上皮の変化(角膜上皮に不連続な混濁化を示す)が関節炎やテリテマトーデスのためリン酸クロロキン(アラーレン)を服用した一〇人の患者に起こつた旨の報告で、この変化は、薬剤治療の中止で可逆的であるようである。すべての患者が視覚上で不満を訴えていたわけではないが、すべての患者は生体顕微鏡で角膜異常を示していた、と述べている。
8 外国文献8―一九五九
一九五八年四月二六日のロサンゼルス皮膚科学会とメトロポリタン皮膚科学会ロサンゼルス支部との合同会議でのシユテンベルグらの報告である。
円盤性エリテマトーデスの患者(三二才の女性)に一九五三年三月クロロキン二五〇mg毎日二錠投与し始め、臨床的には確実に良くなつたが、一九五四年六月髪の基部二分の一インチが明るいハチミツ色になつたので、クロロキンの投与は中止されたところ、エリテマトーデスが再燃したため再びクロロキンが投与され始めた。一九五八年一月二三日患者の視力不明瞭が分かり、クロロキンは一日一錠まで減らされ、同年二月二六日完全に投与を中止した。
眼底検査の結果、両眼に黄斑の変性があることが分かり、中央視の能力を減少させていた。網膜の病変と失明がまず永久的らしい……、と述べている。
9 外国文献9―一九五九年
前記外国文献5と同様、ホツブスとカルナンが三〇人の患者を観察した結果の報告である。
抗マラリア剤で治療した場合角膜変化が発生する患者の割合は不明であるが、二つの型で現れる。
第一は、一時的な浮腫が急性の重い朦視を生ずる型で、これは敏感な患者に毒作用として発現し、第二は、もつと持続的な形で視力に影響を与える不透明な物質の角膜上皮下の潜行性沈着物によつて特徴づけられる型である。クロロキンの場合は少くとも角膜変化が普通規則的な形で発現するように見えるが、単純な角膜薄えいとして存在するのかも知れない。
その後(この報告書が準備されて以降)の観察によつて、これら薬剤の大量投与治療を受けた患者に高い割合で角膜変化が発生することが確認された。この観察は、更にまた網膜変性さえも予見されること、そのうち幾つかは重篤な永久的視覚障害を結果することを示唆している、という。
10 外国文献10―一九五九年
マラリアの抑制又は治療に用いられる量では、クロロキン及びその誘導体の中毒作用はごくわずかで、その有用性を損なうものではなかつた。一方、大量作用ではより重篤な副作用の起こることがクロロキン使用の当初から知られていた(アービングら一九四八年―外国文献3。)エリテマトーデス、リウマチ様関節炎でもその有効量は一般にマラリアに対する一般使用量を超えて多く、かつ、より長期にわたつて投与されるので、中毒作用が報告されても驚くに当たらない。
最近我々(ホツブス、ソルズビー、フリードマン)は、少なくともある症例では明らかに非可逆性の視覚障害をきたす、極めて重大な特徴をもつ変性を認めた。これらの患者もまたエリテマトーデス及びリウマチ様関節炎のためクロロキン化合物の治療を受けていた。
これらの症例(著者らが観察した三つの症例)における眼障害の重要な共通した特徴は、黄斑部障害、網膜血管の狭窄化とそれが引き起こす暗点及び視野欠損である。症例1(及び第四例―一九五八年五月王立医学会の皮膚科領域で検討されたもので、夜盲症、暗点、視野欠損、網膜変性の発症については、症例1と極めて似ているが、その状態は更に重篤で、事実上失明している。)の網膜色素沈着は、動脈の狭細化、網膜浮腫で始まり、周辺及び中心部の色素沈着へと進展する網膜症のより進行した段階をよく示すものかもしれない。我々はこの障害が永久的なものかどうかは分からないが、今日までの経過は自然寛解はありそうもないことを示唆している。
これら三症例の網膜変化は、クロロキン化合物による治療後、それぞれ三年六か月、二年九か月、三年目に発症している。その重症度は使用量とある程度の関連性を示している。すべて使用量は一日一〇〇mgないし六〇〇mgであつた。薬剤中止後症状の改善は今のところなかつたが、障害の進行は止つた。それゆえ、これら変性が基礎疾患の経過に基因することはありそうもなく、特にこれが(症例1)治療中止により著明に再発していることからなおさらである。我々はこの状態を薬剤投与の結果であるとする方が妥当だと考える。
特異体質がキニーネの場合と同様、合成抗マラリア剤による網膜反応に一役買つているかもしれない。侵されるのはごくわずかの症例にすぎないから。
合成抗マラリア剤による視覚障害についての公表された記述では、我々の患者にみられたような特徴をもつ症例を見たことがない。しかしシユテンベルグら(一九五九年―外国文献8)によつて報告された症例は、同じ型のものであろう。ゴールドマンら(一九五七年―外国文献3)により報告された長期クロロキン治療後の重篤な視野欠損は同じような機序を示唆するものである。
硫酸クロロキンでウサギに網膜変性を作ろうとする我々の試みは不成功であつた。この否定的事実は、他の薬剤の非中毒量一回静注でウサギに実験的に起こされる網膜障害について知られていることと対比して評価する必要がある。したがつて、クロロキンは、ピペリジエチルクロロフエノチアジン(この物質は、精神病治療を受けている患者に色素沈着を伴う網膜障害を起こすが、動物に対してはそのような作用がないことが知られている)に類似した発現をすると思われる。臨床所見は、クロロキンおよびピペリジエルエチルクロロフエノチアジンのヒトの網膜に対する影響は血管痙縮に基づくものであることを示唆している。このことは我々の否定的な実験(右動物実験)結果を説明するものである。
以上の根拠により、ここに述べた網膜症は、クロロキン化合物によりじやつ起されたものである。クロロキンによつて発生することが知られている角膜変化は、他の合成抗マラリア剤でも起こるので、これらはまた関節炎やテリテマトーデスの治療に必要量投与されると、いずれにせよ網膜変性をじやつ起する可能性がある。これら疾患の治療が中止されることはありそうもない。にもかかわらずこのような治療は不必要に続けないことが賢明であるようである。使用期間を短くし、定期的な眼科検査を行つてコントロールすべきである、としている。
11 外国文献11―一九五九年
右10の論文の読後にその掲載された「ランセツト」誌に寄稿したフルドの手紙であつて、次のようにいう。
数年以上観察され続け、そして一八か月以上の長期間、大量のクロロキンを与えられた一〇〇名以上の患者のうち、ホツプスらによつて述べられたものに匹敵する眼に重大な併発症をもつ一例を経験した。
二年半にわたり硫酸クロロキンの投与を受けた婦人の両眼に乳頭の蒼白と中等度の動脈狭窄(部分的な視神経の萎縮)が確認された。両黄斑部にはつきりとした円板状の変性があり、両眼に中心性絶対暗点があつた。クロロキン中止後六か月になつても眼はよくならず、本が読めないし、対象物のそばでないと何もはつきり見ることができない。
ランセツトの論文を読み終え、おそらくは非可逆的な眼の変化は、二年半にわたる抗マラリア剤クロロキン治療による直接の結果であることを少しも疑わない。
リウマチ様関節炎やエリテマトーデス等のクロロキン治療は、むやみに長く引くべきでないというホツプスと共同研究者らの意見に完全に同意する。私はこれらは一八か月間の治療を上限と考える。活動性リウマチ関節炎のほとんどの患者がクロロキンから受けた利益は、これまで報告された副作用に疑いなく勝つているが、長期間の抗マラリア剤治療を受けたすべての患者を監視することが望ましく思われる。
二 以上の各文献によると、次のような事実が認められる。
1 クロロキンがマラリアの抑制又は治療に用いられている量以上に長期大量に使用されることにより眼に対する副作用が起こることは、既に一九四八(昭和二三)年の段階で知られていた。エリテマトーデス、リウマチ様関節炎等の治療にクロロキンを用いるとき、一般にクロロキンのこれら疾患に対する有効性がマラリアに対する一般使用量を超えて多くなり、かつ長期にわたつて投与が必要となる。それゆえ、右疾患の治療にクロロキンを使用する場合の問題点は、主として慢性的な毒性に関する問題と認識され、そして右疾患にクロロキンが用いられるからには、眼に対する重篤な副作用が現れても不思議ではないと考えられていた。
2 かくして、早くも一九五七年には、証明はできなかつたものの、クロロキンが重篤な眼底変化(視野の重篤な狭窄)を引き起こすことが懸念され(外国文献3)、同じ年にクロロキン治療を受けた患者の網膜変性の症例(ただし、著者はクロロキンを中止しても網膜変性が改善されなかつたので、クロロキンをその原因から除いているが、後日ク網膜症と確認された。)が報告されている(同4)。そして一九五八年には、クロロキンと角膜症の因果関係が医学的に確立し、その治療の期間中は注意深い眼科的監視が必要と考えられるに至つていた(同5ないし7)。
3 一九五九(昭和三四)年になつて、クロロキン服用者に非可逆性の網膜障害が発症した旨の、あるいは非可逆性を示唆する網膜変性が予見される旨の各報告がなされ(同8、9および10)、かつ、クロロキン治療を受けた患者に現れた網膜症がクロロキン化合物によつてじやつ起されたと結論づけた論文(同10)がランセツト誌上に発表された。
右ホツブスらの論文は、クロロキンと網膜症との間の因果関係を初めて認めたものであることは明らかである。確かに、ホツブスらは、右時点で動物実験においてクロロキンによる網膜症の発現に成功しなかつたし、症例ごくわずかなゆえに特異体質も一役買つているかも知れないと述べているが、前記の各文献と関連づけてみると、右論文は、既に一九五九年の時点で少なくともクロロキン化合物と網膜症との間の医学的因果関係をほとんど疑いない程度に証明した論文と評価することができるのであつて、医学、薬学に携わる者、クロロキン製剤を製造販売する者等にとつては決して無視することのできない重要な論文であつたと解せられ、また、この時点で既に、不必要な長期治療を戒める意見出ていて、定が期的眼検査によるコントロールの必要性が述べられていたことは注目に値するものといわなければならない。
三 その後一九六二(昭和三七)年までに公にされた外国文献の要旨は、以下のとおりである。
1 外国文献12―一九六一年
クロロキンは角膜変化に対し明らかに責任があり、その発生率は、約三三・三%であるが、網膜障害は、角膜変化よりもはるかに低いひん度で起こることは明らかである。角膜の変化と違つて網膜の変化は大多数の場合、その変化が検出された段階では非可逆的であると思われるから、網膜の変化の発生率が低いことは幸運である。以前報告した(外国文献10)四例の網膜症(動脈の狭窄、浮腫、数例では色素障害)が再確認され、ほとんど非可逆的であることが分かつた。暗順応測定は、初期段階で網膜症検出に有効であることが証明されなかつた。
角膜沈着物の治療は不必要であるように思われ、網膜症状の治療はほとんど効果がなかつたようである。しかし、これらの薬剤を大量投与せねばならない場合、治療期間は限定されねばならず。もし長期治療が必須であれば数週間の投与中止期間を設けて治療を中断すべきであると忠告できるように思われる、としている。
2 外国文献13―一九六一年
エリテマトーデス一二か月以上クロロキン治療を受けた患者(五五才の男)に、網膜血管は狭く、両黄斑を囲む細かい色素沈着物の集まりがあつて、両眼の視野にはつきりした傍中心性輪状絶対暗点が認められた旨の報告。眼の症状は軽減されず、暗点は恒在的で、かつ絶対暗点である、という。
3 外国文献14―一九六一年
エリテマトーデスでクロロキン治療を受けた患者の四例に、クロロキンによつて(情況証拠はクロロキンのせいであると思われる。)網膜症があつた旨の報告で、この型の網膜症には永久かつ重篤な視覚損傷の危険を伴うという立場から、抗マラリア剤治療を受けている患者に対し完全な眼科的監視が要請される、とする。
4 外国文献15―一九六一年
著者らは、長期間(二年半)リン酸クロロキンを服用したリウマチ様関節炎の患者にホツブスらの報告(外国文献10)と同様の変化を観察したという。すなわち、視野欠損、中心視力の低下、角膜沈着物及び著明な動脈狭窄と黄斑の浮腫からなる網膜症で、視野欠損が明らかに永続的である。そして、著者らは、長期リン酸クロロキン治療を受けている患者は、特に重点的に細隙灯でまた検眼鏡検査や視野検査を含む定期的検査を受けるべきである、としている。
5 外国文献16―一九六一年
クロロキンで長期治療中の患者に永久的な網膜変化とこれに伴う著しい視覚障害が発生したという証拠を更に追加する目的でこの報告をする(と著者らはいう)。
文献を再調査すると、クロロキン治療によると思われる網膜変化の報告(すなわち、外国文献4、8、10及び11の六例の報告)が見られる。そして、クロロキン治療の結果、網膜の障害を伴つた三症例(リウマチ患者二例、エリテマトーデス患者一例)をここに追加して報告する。
これら網膜の変化は長期クロロキン治療を受けたリウマチ様関節炎、エリテマトーデス患者らに起こつたという理由で、我々は、この薬剤が原因作用物としてかかわつているに違いないと考える。永続的な網膜変化をもたらす可能性は、全身性疾患のためクロロキンを処方するすべての医師によつて、その治療効果より重要視されるべきである、と述べている。
6 外国文献17―一九六一年
エリテマトーデスで長期(約六年)クロロキン治療を受けた患者に網膜症(脈絡膜血管がはつきり見られ、網膜動脈はまつすぐで細く、乳頭は蒼白で、黄斑浮腫があり、両眼底に不規則なまだら模様の色素沈着もあつた。)が生じた旨の報告である。
視野はひどく狭まり、眼底像は網膜色変性症に似ていて、変化は永久的である。エリテマトーデス、リウマチ様関節炎の治療でのクロロキンの投与量は、マラリアに用いられる量を超過することはしばしばであり、またずつと長期間続用される。それゆえに、その毒作用がしばしば報告されるのは驚くべきことではない。右症例で、薬の中止は、この二年間、視覚の改善をもたらさなかつた。この間、皮膚の状態は症度が変化した。そのことが視覚障害はエリテマトーデスのせいでないことを示した。長期間の治療の後、症状が比較的突然に始まることは、網膜効果がたまたまの例にしか起こらない特異体質によるものであることを暗示する、としている。
7 外国文献18―一九六二年
リウマチ様関節炎患者に一年間にわたり一日二五〇mgのクロロキンを投与した後に至り、両網膜の乳頭及び黄斑部は正常であつたが、中心部に暗点が出現した旨の報告である。
マラリアの治療のための投与量は、抑制のための週二五〇mgから急性発病の治療のための三日間で一五〇〇mgにまでわたつている。毒作用はこれらの投与量では、めつたに起こらない。リウマチ様関節炎、エリテマトーデス等の治療では一日五〇〇mgに至るはるかに大量に何か月とか何年もの長期間投与される。毒作用が起こることは意外ではない、
と述べ、長期のクロロキン治療によつて起こるかも知れない視覚障害に関する文献(外国文献5、10等)を総覧した後、クロロキンの長期投与を処方するすべての医師は、重篤な永久的視力喪失の可能性に気づくべきである、と警告している。
8 外国文献19―一九六二年
リン酸クロロキン投与による視覚障害が文献に記録されてきたが、ごく最近では、脈絡・網膜症を含んでいる。過去二年間に、我々は更に四人の患者を診たが、そのうち三人は、我々がクロロキンにより起こると信じている一つの型の脈絡・網膜症を発現し、他の一人はクロロキンにより発生するのと同様の症状を発現した。クロロキンを処方されているリウマチ患者の数の多さを考えると、この重大な合併症の可能性を警告することは適切であるように思える。三人の患者は、クロロキンの投薬中止にもかかわらず重篤な進性の病変を示した。効果的治療法は知られていない、と述べている。
9 外国文献20―一九六二年
抗マラリア剤であるクロロキン又はヒドロキシクロロキン治療を少なくとも二か月間受けた三八人の患者の四二%に眼症状、四四%に角膜感度の低下、八四%に角膜上皮沈着、三九%に水晶体混濁、二〇%に眼底障害、八%に視野欠損等があつた。なお、ヒドロキシクロロキンを服用した二人の患者は、眼の異常や症状はなかつた。眼底障害は、黄斑部に主に見られ、非特異的性状の不規則な色素沈着性まだらかる成る。黄斑障害がある二人の患者は、中心視野が狭くなつていたが、予期された中心性とか中心周擁型の暗点はなかつた、とするものである。
10 外国文献21―一九六二年
クロロキンがリウマチの治療において抗マラリア治療よりもはるかに大量に、かつ、はるかに長期間用いられていることから、我々はこれまでにほとんど知られておらず、よく理解されていなくて、しかももし早く見つけなければ永久の著しい視力喪失が起こりうる潜在的危険のある幾つかの網膜変化を見始めている。ここに報告する患者にみられた検眼鏡的像は,ホツブスら(外国文献10)の報告した第一症例と色素沈着を除いて同じであつた。
結論として、長期クロロキン治療を受ける者は、だれでもその治療期間中、定期的な検眼鏡的検査と周辺及び中心視野の測定を受けることが勧められる、としている。
11 外国文献22―一九六二年
クロロキンの使用の結果発生する角膜変化は、今はよく知られている。クロロキンによる網膜変化は、幸いにしてずつと少ないものであるが、重篤な視覚障害を伴う非可逆的変化に至るので、やはり非常に重要である。しかもそのための効果的治療法は、今のところ全くない。我々は、過去一八か月間に見た二つの新しい網膜損傷症例を報告する。網膜変化は、発生すると永久的であるように思われるので、最も早期の徴候に備えて監視が継続されねばならない、とするものである。
12 外国文献23―一九六二年
クロロキンによる網膜症の発病は突然である。患者は種々の眼障害を自覚することもある。もし薬が急性段階で中止されれば、わずかな機能回復があるかも知れないが、非常に無視できない網膜障害が起こり、しかも非可逆的である。我々の患者の一例は、投薬中止後、数年たつてもなお視機能が徐々に低下している。その合併症がまれであることとクロロキンには一般的に認められた価値があることから、この副作用が重篤であるにもかかわらず、その継続使用が正当化されている。眼障害が始まる前に何か電気生理学的異常が見つけられるか否かを決めることは検討の価値がある。そのためにはEOGの方がERGより役立つかも知れない、と述べている。
13 外国文献24―一九六二年
ニバキン(硫酸クロロキン)による治療で発生した網膜症二例を報告する。我々はホツブス(外国文献10)やフルド(同11)の症例と併せて右二症例を検討すると、臨床像が十分確立しているかどうかについて若干の疑いが残つているものの、これら両者に共通の症状が数多く存在しているようであり、これは病歴と併せて、クロロキンが網膜症を誘発した可能性を強く示唆している。これらの例における予後は好ましくないとみなされなければならず、改善はほとんどみられなかつた。このようにクロロキン化合物による長期間治療は、ひどく危険を伴い、我々の意見では、可能な限り避けるべきである。それでもこの治療がある程度長引きそうな場合、眼底と視野に特に注意を払つて、定期的な眼の検査をすることが得策であるように思う、と述べている。
14 外国文献25―一九六二年
長期間にわたつてクロロキン治療を受けた患者では、角膜の変化は普通のことであり、角膜障害は、薬の使用を中止すると幸いにも病変は可逆的に回復するということが分かつている。しかしながらクロロキンによる網膜障害はまれにしか起こらないけれども、非可逆的であることが判明している。このような繁用薬に対する後者の反応に促されて、障害の検眼鏡検査の類似性を実証する眼底写真を添えて三つの症例を追加報告する。いずれも両側性の黄斑部変性である。これら障害は、検眼鏡検査的には全く同様であり、同円心的色素沈着部位を伴い、「ドーナツ」または「金金」に似ている。網膜変化は非可逆的である。クロロキン治療を受けているいかなる患者も、眼症状の最も早期徴候段階で、速やかに眼科的に診断されるべきである。角膜変化が現れただけでも臨床的注意は必須である。もし眼底変化が認められるなら、この薬は中止さるべきである、としている。
15 外国文献26―一九六二年
クロロキン治療(リン酸クロロキン毎日五〇〇mg投与)を受けたエリテマトーデス患者(四〇才の男性)に、ほんの一五か月間で視覚障害(眼底鏡的変化はないが、ひどい視野欠損)が生じたことの報告である。
この眼障害の原因は分からない。ク網膜症の初期の相を表しているかも知れない。長期クロロキン治療を受ける患者は、網膜変化だけでなく、視野欠損についても定期的にチエツクされるべきことが提案される、と述べている。
16 外国文献27―一九六二年
クロロキン治療に伴う両側性黄斑部性の一つの症例を報告したもの。
クロロキンの皮膚病やリウマチへの使用は、この薬の使用範囲を拡げ、そしてマラリア抑制に対して処方される投与量よりはるかに過度に投与されるようになつた。クロロキンの潜在的毒性、特に眼に対する毒性に関心が増加してきたのは、クロロキン使用の拡大と時を同じくしている。
クロロキンに因果関係があると疑われている眼に対する副作用として、調節障害(外国文献2、6)、角膜障害、網膜障害がある。
結論として、抗マラリア剤は、将来大いに使用される非常に有益な薬剤であるといえるであろう。可逆、非可逆的な毒性のゆえに、患者はこの薬を使う間は、眼科医に診てもらうべきである。非可逆的眼底の変化をもたらす薬の毒性に関する文献中の諸症例を再検討してみると、時間的要素が最も重要であるように思える。同一患者を同一薬による長期投与にさらさないような治療方法が考慮さるべきである。不都合な毒性が、いまだに報告されているので、年余にわたる治療が必要なら、ある抗マラリア剤から他の抗マラリア剤へ断続的に切り換えることが適切かも知れない、とするものである。
四 以上に見たとおり、一九六一年、一九六二年(昭和三六、三七年)当時、数は少ないがクロロキン治療を伴う網膜症の症例報告が相次いで公表されており、しかもクロロキンと網膜症との間の因果関係を否定した見解もしくはこれにいささかなりとも批判的な見解は全く見当たらない。この時期では、いまだ動物実験での網膜症の発現はみておらず(それに成功した報告は、一九六四年に発表されている―外国文献64)、クロロキンによる網膜症の発症機序に関する医学的知見も確立されてはいない(第一節で詳述したとおり今日もなお同じである。)が、前述した文献の著者ら(ほとんどの者がホツブスらの外国文献10を引用したり、これを自己の症例と対比検討したりしている。)は、エリテマトーデスやリウマチ様関節炎のクロロキン治療によつて網膜症の発生する可能性を疑つていない。そして、ク網膜症の非可逆性、進行性、その治療方法のないことについても、既にしばしば言及し、非可逆の変性を生ずる前に網膜症を発見する眼科的検査方法を提案したり、クロロキン治療中の眼科的検査、監視の必要性、あるいは不必要な長期投与は避けるべきこと等を述べているのである。
一九六三年、一九六四年(昭和三八、三九年)に入つても、ク網膜症の報告が発表されているが、このころになると、ほとんどクロロキンと網膜症との間に因果関係の存在することを当然の前提として、その早期発見方法の研究報告(外国文献28、29、36、42、45、47ないし49、63等)、ク網膜症の医学的知見の要約等に関する研究報告(同33、50、62等)、ク網膜症のひん度、期間、投与最との関係に関する文献(同32、51、63等)、ク網膜症の発生機序に関する研究(同35、37、40等)、ク網膜症の病理学的所見(同41、43等)及びクロロキンの胎児に及ぼす影響についての研究(同52)などが公にされている。のみならず、ク網膜症の危険と対比して、クロロキンをリウマチ様関節炎の治療に用いることに疑問を提起する文献(同53)すら発表されている。
五 その他の外国の文献―NND、SED、PDR等
〈証拠略〉によれば、NND、PDRは、「公定書」に準ずる書であり、NNDは、アメリカで入手できる単味の薬品のうち、アメリカ医師会が評価したものを収載した権威ある最新情報の提供を狙いとし、アメリカで発売されている薬品が同国でどのように評価されているかを知ることができる書であること、PDRは、一応アメリカの効能書集で臨床医が十分な新薬情報を得るようになることを目的としていること、SEDは、アメリカ、イギリス、ヨーロツパ等の第一次刊行物を基に作られ、図書作成上オランダが保健省の協力を得て一九五五年以降発行されている書であること、右三者は、製薬会社が新薬開発の過程で参照すべき情報資料の一つであつて、製薬会社の安全性担当者が常に繁用していること、NNDは、大学病院、臨床研修指定病院で常備すべき書であつて、一般病院でも常備するのが望ましいとされており、PDRはすべての小病院、診療所にも常備すべきであるといわれていること、またSEDは、副作用等に関し大学病院、臨床研修指定病院には常備し、一般病院、小病院、診療所にも常備することが望ましいとされている書であることが認められる。
また、〈証拠略〉によれば、遅くとも昭和三七年以降厚生省当局はNNDを各国の薬局方とともに、日本薬局方と並ぶ公的資料と考え、その旨関係業者に公表してきたこと、更に、厚生省薬務局長が昭和四四年一二月二三日の通知(請求の原因第一の五)を発した際、参考とした資料中に、PDR(ただし一九六八年一九六九年の各版)及びSED(ただし一九六四年版)が含まれていたことが認められる。
1 NND(〈証拠略〉)
一九四八(昭和二三)年版から一九六〇(昭和三五)年版までは、リン酸クロロキンの副作用として「軽い頭痛、掻痒症、視力障害、胃腸障害が起こる。投薬が長期になれば霧視とピント合せの困難が観察される場合がある。どの反応も重大でなく、いずれも可逆性である。」と記載されていた。一九六一(昭和三六)年版及び一九六二(昭和三七)年版になつて、「調節障害による一時的な霧視が観察されている。角膜上皮の浮腫や混濁のような角膜の病変は、暈輪や霧視のような自覚症状を伴うものも細隙灯検査で見つかつている。投薬開始後数週間から数年後に始まるこれら病変は可逆性と考えられていた。しかしそういつた病変がいつたん発生したら、各症例につき投薬の中止による利益と、投薬の継続から生ずるかも知れない治療上の効果とを比較考量せねばならない。
何人かの患者では、長期療法が網膜細動脈の狭細化、網膜浮腫、黄斑部変性、暗点視、視野欠損で特徴づけられる。非可逆的らしい網膜損傷とも関係づけられている。白血球減少症、重篤な皮膚発疹、角膜または網膜の病変は、投薬中止の指標である。」旨記載され、そして一九六四年版にも同旨の記載がある(〈証拠略〉)。
なお、一九六五年版には、「数か月または数年のクロロキンによる治療の後に時々起こる網膜変化と視覚障害は、より重篤なものである。これらの副作用は早期に発見すれば時として可逆的であるが、通常非可逆的であり、治療中止後に進行することもあり、またあるいは失明に至るかも知れない。したがつて、クロロキンの大量長期投与により期待される利益とその危険とを慎重に比較考量しなければならない。もしかかる治療を行うことにした場合には。眼科的評価を繰り返し行うことが必須である。サリチル酸剤が十分に奏効する慢性関節リウマチ患者には、本剤を使用してはならない。」とある。
2 PDR(〈証拠略〉)
リン酵クロロキン(アラーレン)につき、一九四八年版から一九五五年版までは特に副作用の記載はなく、一九五八(昭和三三)年版で、視力障害等の副作用が記載されているが、これは投与中止あるいは減量によりしばしば一過性であるか軽減するとされていた。
一九六二(昭和三六)年版には、トリテイス錠(リン酸クロロキン一二五mg、サリシルアミド三〇〇mg、アスコルビン酸五〇mg)につき、注意として、「網膜症の徴候に備えて定期的な眼検査をすべきである。角膜浮腫とか不透明化の徴候があれば投薬を中止せよ。不必要な投薬を長期化しない。」と記載されている。そして一九六三(昭和三八)年版になると、リン酸クロロキンについて、その副作用として「角膜変化として一時的な浮腫あるいは不透明な上皮の沈着物が、自覚症状(暈輪、ピント合せ困難、霧視)を伴うかあるいは伴わずに何人かの患者の主体顕微鏡(細隙灯)検査で記録されている。夜盲症の症状と暗点視野を伴う網膜変化(血管狭細、黄斑部病変、乳頭の蒼白、色素沈着)はまれにしか起こらないが、多くは非可逆的であると報告されている。数例では、網膜変化なしで視野欠損が出現した。
長期治療が予想されるときは、開始時及び定期的に眼検査(細隙灯、眼底、視野)をすることが勧められる。角膜変化が発生したなら(それは可逆的と考えられる。)、治療を継続して得られるかも知れない利益と投薬を中止した方が得策かどうかが比較考量されるべきである。」と記載されるに至り、以後の版では、網膜症の病像が更に具体的になり、また予防の眼検査の期間とか、投薬中止の指標(例えば、何らかの視野狭窄やあるいは網膜変化を暗示する視覚症状が発生したならば、即時中止するなど)等がよひ詳細に記載されるようになつた。
3 SED(〈証拠略〉)
一九五八(昭和三三)年版には、クロロキンの副作用で眼障害に関しては、「嘔気、めまい、頭痛と視野損傷が皮膚炎と同じ位(一二五人の患者の三五%)しばしば起こつた。」と書かれている程度であるが、一九六〇(昭和三五)年版のクロロキン、硫酸塩、二リン酸クロロキンの眼の項に次のような記載がなされた。
「クロロキンによる視覚異常で最も普通に記述されるものは、霧視と調節の速度低下であり、薬こ中止によつて可逆的である。リウマチ性の痛みのためにクロロキンを投薬した後、両眼性眼内転筋麻痺の四例があつた。薬の中止の結果三週間以内に回復した。
エリテマトーデスのためにクロロキンで(継続して数年)治療していた三二才の女性において、恐らくクロロキンによる(確かではないが)両眼性の黄斑部変性となつた。別の報告では、黄斑部の病変や狭細化した血管によつて起こされた暗点視と視野欠損を記述している。一人の患者では網膜色素沈着が進行した。薬を中止しても現在までのところ、これに引き続いて改善されるということはないが、病変は進展を中止した。」
その注で、ホツブスらの外国文献5、10などが引用されている。
そして、一九六三(昭和三八)年版には、眼に対する副作用として、「様々の型の視覚障害が、たいていは長期投薬の後に報告されている」としてうえ、調節障害、角膜変化、網膜変化に分類して詳述している。網膜変化に関する部分を要約すると以下のとおりである。
網膜変化(しばしば非可逆的である。)も報告されている。暗点を伴う網膜変化が報告された(外国文献18、22)。三例とも網膜障害は永久的と思われた。
網膜変化、視野狭窄、黄斑部変性とけいれん性の網膜血管がクロロキンで治療中のエリテマトーデスの四人にあつた(外国文献14)。別の症例では、三ないし六年間のクロロキン使用後に視力が減退し、中心視力は完全に失われた。眼底変化は中心窩とその周囲で見られた。完全な視力喪失を伴う永続性の網膜変化もまた報告されている。皮膚疾患で二年半クロロキン投薬後、四二才の女性に両眼性の黄斑部変性が進行した。両眼性の傍中心、中心暗点が検出された。数年後黄斑部の病理は本質的に変化のないまま残つた(外国文献27。)
視野欠如の一例においては、中心視の減退、角膜沈着物と著しい細動脈狭細や黄斑部の浮腫からなる網膜症が、リウマチ様関節炎のためリン酸クロロキンを二年半投薬後進行した(外国文献15)。
クロロキン透発性の網膜障害の三例を追加する。典型的な網膜変化は、周辺部と黄斑部での色素変化を伴う狭細化した細動脈である。全例に見られた視野変化は傍中心暗点かあるいは輪状暗点であり、これは周辺部にまで拡大しており中心視力を幾分損失している。全身性疾患のためにクロロキンを処方する医師は、永久的な網膜変化を引き起こす可能性があることを、治療上の利益と比較考量しなければならない(外国文献16)。
視力喪失は永久的と思われるので、クロロキン透導体による長期治療中の患者は、細隙灯、検眼鏡と視野の検査に特別な重点をおいて定期的眼検査を受けるべきである(外国文献15。)
4 ハンドブツク・オブ・ポイゾニング(〈証拠略〉)
一九六三(昭和三八)年(第四版)のキニーネ、キナクリン、クロロキンの項に、その病理学的所見として「肝臓、腎臓、脳、視神経における変性がある。」とし、臨床所見の慢性中毒の欄で、「クロロキンは、……角膜の病変からくる霧視、水晶体混濁、そして黄斑部変性を含む網膜障害を引き起こす。」と記載されている。
そして、一九六六(昭和四一)年の第五版では、右の記載のうえ、更に「網膜の障害は、普通非可逆的である。胎児の障害も報告されている。」旨の記載が加わり、また、「仮性同色性色覚検査板は、網膜症の早期検出のための予検(スクリーニングテスト)として使用することができる。」と記載している。
5 グツトマン・ギルマン薬理書(〈証拠略〉)
一九六五(昭和四〇)年の第三版において次のように記述がある。
クロロキンは、リウマチ様関節炎、円盤状エリテマトーデスの治療には、一般にマラリア予防あるいは治療に用いられる量により更に大量の投与が必要であり、かかる大量投与での毒性についての適切な考慮もまた必要である。
ヒトでは、クロロキンはキナクリンより毒性は少なく、より耐薬性がある。急性マラリア発作の治療に用いられる投与量では、軽度の、しかも一過性の視力障害等を起こすことがある。マラリア以外の疾患に長期間治療する場合、クロロキンを数か月ないし数年にわたり、一日二五〇mgから七五〇mgを投与することがある。このような長期治療では、それほどひん発するものではないが、網膜症が起こることが知られている。
クロロキンは、妊娠中で胎児異常を起こす危険のあるときは、マラリアとかアメーバ性肝炎の予防あるいは治療のように正当な理由のないかぎりは投与してはならない。
6 ケミカル・アブストラクト(〈証拠略〉)一九六〇(昭和三五)年八月二五日号
同書には、「リウマチ関節炎に対するキノリン治療によつて起こる視力障害及び眼変化」
として、ドイツのマルクスらの症例報告が次のとおり要約して掲載され、かつ、ホツブスらの前記外国文献5及び10が引用されている。
「リウマチに抗マラリア剤(クロロキン、アモデイアキン及びメパクリン)を用いて長期の治療を受けた二四名の患者で、これら抗マラリア剤あるいはそれらの代謝物質が眼組織に沈着することが証拠づけられた。………投薬中止六か月後に角膜沈着が減少するのが何人かの患者で認められた。キノリン塩基かアクリジン誘導体あるいはそれらの代謝物質が酸性ムコ多糖体と合体して眼組織に可逆性の複合体を形成する可能性が示唆された。」
第二 我国における医学的知見
一 クロロキン製剤による眼障害に対し、我国において昭和四〇年末までに報告され、もしくは刊行された文献の要旨を以下に述べる。
1 日本文献111
昭和三二年に発表された慢性エリテマトーデス二〇例に対しレゾヒンを投与した治験報告論文であるが、クロロキンの副作用についてアーヴイングらの報告(外国文献2)等の概要を紹介し、視力障害が認められたと報告されている旨記している。結論で、副作用については文献上も重篤なものは知られておらず、我々も経験しなかつたが、ほとんど全例において睡眠障害を認めたと述べている。
2 日本文献1及び3
慶大の中野彊は、昭和三七年九月二三日の第四一一回東京眼科集談会(第一三八回千葉眼科集談会合同)において、慢性円板状エリテマトーデスの治療でレゾヒンを昭和三七年二月まで約六年間内服した患者(五五才の男子)の両眼眼底に動脈の狭細、黄斑部に暗赤色の混濁とその周囲に色素沈着があり、視野は両眼とも明瞭な輪状暗点、暗順応の障害を認めたと報告し、本症例は、クロロキン剤の長期内服による中毒症状と考えられ、従来報告されているクロロキン網膜症の症例と思われると述べた。
同集談会において、東大の佐藤清裕も慢性円板状エリテマトーデスでレゾヒン二〇〇mgないし六〇〇mg平均三〇〇mgの内服を続けていた三四才の女子にみられた網膜症(眼底症状として乳頭蒼白、黄斑部浮腫、網膜全体の汚ない灰白色変性、網膜細動脈の狭細が特有であり、視野では輪状暗点と周辺狭窄が認められた。)を追加報告した。
そして、中野らは、前記症例につき論文を発表した(外国文献1)。その要旨は次のとおりである。
近来、諸種の膠原病の治療に副腎皮質ホルモン療法が優れた成果を示している。一方、抗マラリア剤もある種の膠原病、特に慢性型エリテマトーデス、リウマチ様関節炎の治療に用いられ、しかも長期連用されることが少なくない。しかし、抗マラリア剤が副作用として中毒症状を呈することは、従来から注目せられてきたところである。
クロロキン療法中に見られる眼病変として、従来、角膜変化と眼底変化が報告されている(外国文献5、10、12)。本邦では、まだ眼底変 |